<190>1880-81年メルボルン万博の経緯と概要

1880-81 Melbourne
現在のカールトン庭園、ホッホグルテル・ファウンテンと王立展示館 photo©️Kyushima Nobuaki

シドニー万博の半年後に始まったメルボルン万博

<187>~<189>まで1879-80年シドニー万博とその跡地についてご紹介した。

ここからはその直後に開催された、1880-81年メルボルン万博、そして再度同地で開催された1888-89年メルボルン万博、そしてその跡地についてご紹介していきたい。

<183>~<186>「オーストラリアと博覧会」でご紹介したように、オーストラリアで第1回目となる万博は1879-80年シドニー万博にゆずったものの、国内の博覧会、植民地間の博覧会をはじめ、ヴィクトリア州(メルボルン)は域内の博覧会開催に非常に積極的であり、そしてまた万博開催にも積極的だった。

現在のメルボルンの様子
photo©️Kyushima Nobuaki

そして、そのメルボルンで初めて開催された万博は、1879-80年シドニー万博の直後、1880-81年に開催された。

1880-81年メルボルン万博の概要

シドニー万博は1880年4月20日まで開催され、メルボルン万博は半年後、同じ1880年の10月1日に開会された。

そのため、海外からの展示品などは使いまわされたものが多かった。

その海外からの展示品を持ってくるための船が座礁するなど、<1>でご紹介した、1873年ウィーン万博後のニール号の沈没を思い起こされるような事件も起こった。
それについては<195>以降でご紹介したい。

さて、前述の通り、メルボルン万博(Melbourne International Exhibition)1880年10月1日に開会された。

参加国は33カ国で、約32,000点の芸術品、製造品、天然物が展示された。
参加国の中にはイギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、日本、インドなどが含まれた。

一般入場料は大人1シリング、子供6ペンスで、オーストリアのバンドの演奏などの特別イベントが開催される日には、チケット価格は2シリングと1シリングに引き上げられた。

シーズンチケットは、男性が3ギニー、女性が2ギニーで(1ギニー=21シリング)だった。

シーズンチケットを購入したのは男性60人、女性203人だけだった。
このシーズンチケットを購入した女性の多くは、公式パスを持つ男性の配偶者であったと推測されている。

会場はメルボルンの当時の北部限界線ともいえたカールトン庭園とその中に建てられた王立展示館

現在のカールトン庭園、ホッホグルテル・ファウンテンと王立展示館
photo©️Kyushima Nobuaki

広さは約8.5ha(東京ドーム約1.8個分の広さ)だった。

万博は、熱狂的な観客を集めたため、当初は3月末で閉幕の予定だったが、当初予定よりも1ヶ月長い4月30日まで閉幕が延長された。

メルボルン万博の公式記録によると、1,330,279人の来場者があり、そのうち985,848人(およそ100万人)が入場料を支払ったということである。

当時のメルボルンの人口が28万人であったことを考えると、この博覧会がこの都市の社会生活と文化生活においていかに大きなインパクトを与えたか想像できる。

さて、次の<191> ではメイン会場となったカールトン庭園王立展示館についてご紹介していきたい。

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