オーストラリア入植100周年記念万博開催の企画
<195>でご紹介した、今も立派に残る王立展示館で再び開催されたのが、1888-89年メルボルン万博である。
メルボルンのあるヴィクトリア州の州政府は、オーストラリアへの英国入植100周年を祝うために万博を開催することを企画する。
おりしも、アメリカ独立100周年を記念して、1876年フィラデルフィア万博を開催したという前例もあった。
ヴィクトリア州首相のダンカン・ギリーズは、メルボルンで100周年記念万博を開催するというアイデアをニューサウスウェールズ州のジェニングス首相に提示した。
シドニーの対抗策
しかし、当然ながら、最初に入植した都市であるシドニーのあるニューサウスウェールズ州の人たちは黙っていなかった。
シドニーでも万博を開催するべきだというのである。
シドニーの地元メディアは、メルボルンでの万博を認めるニューサウスウェールズ州首相のジェニングス首相を攻撃した。
ジェニングス首相はすぐに彼らの抗議に屈し、シドニーでも博覧会を開催することに同意した。
しかし、この発表直後にジェニングス政府は崩壊し、彼の後継者によってこの提案は放棄されることになったのである。
いずれにしても、シドニー万博の会場だったガーデン・パレスは1883年に火災で焼失してしまったため、ニューサウスウェールズ州には、もはや万博のような巨大事業に適したキャパシティの会場がなかったのである。
そして、ふたたび、今も残るメルボルンの王立展示館での万博開催が決定することとなった。

1888年百年祭メルボルン万博時の王立展示館の様子 (Museum Victoria,『Visions of Colonial Grandeur』より)
現在残る王立展示場の両側と北側に大規模な展示場が増設されていた様子がうかがえる

現在のカールトン庭園、ホッホグルテル・ファウンテンと王立展示館
photo©️Kyushima Nobuaki
1888-89年メルボルン万博の概要
このメルボルン万博は、正式には、メルボルン百年祭国際博覧会(Melbourne Centennial International Exhibition)と呼ばれた。
開催期間は、1888年8月1日 〜 1889年1月31日。
会場は、1880-81年メルボルン万博会場となった王立展示館(ロイヤル・エキシビション・ビルディング)とその周辺であった。

現在の王立展示館の様子 東側
photo©️Kyushima Nobuaki

現在の王立展示館の様子 東側より
photo©️Kyushima Nobuaki

現在の王立展示場 北側より
photo©️Kyushima Nobuaki

現在のカールトン庭園のサイン
photo©️Kyushima Nobuaki
来場者数は、約200万人(当時のオーストラリアの全人口が約300万人だったことを考えると驚異的な数字)を誇った。
参加国数は93カ国にのぼった。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツなども参加した。
赤字に終わったが「大成功した」メルボルン万博
しかし、この万博で、政府は23万8,000ポンドの負債を抱えることになった。
だが、この大きな予算超過に対する市民からの怒りはほとんどなかったという。
人々の一般的な考え方としては、「博覧会の開催からもたらされる利益がコストをはるかに上回る」というものだった。
ある解説者は次のように要約している。
ヴィクトリア州民は広告を重視する人々であり、今日の支出に対する補償を未来に求めています。
博覧会が植民地に物質的な利益をもたらしたことは議論の余地がなく、その果実は時が経って初めて評価されるでしょう。
大半の人々が、このメルボルン百年祭国際博覧会は、メルボルンの黄金時代の夜明けを示すという意味で大成功だったととらえたようである。

