デパートと万博のつながりは1851年ロンドン万博から
デパートの誕生と万博も密接なつながりがある。
ロンドンで今も人気の「ハロッズ」と「リバティー」については
でご紹介した。

ハロッズ外観
photo©️Kyushima Nobuaki

リバティー外観
photo©️Kyushima Nobuaki
これらのデパートはそれぞれ1851年ロンドン万博、1862年ロンドン万博に関連するデパートであった。
パリのデパートと万博
パリのデパートも万博と関連がある。
フランス最古のデパートといえば「ボン・マルシェ」。
(一般には「世界最古」と言われることも多い)
1852年、ロンドン万博の翌年の創業である。
アリスティッドとマルグリットのブシコー夫妻によって始められたこのデパートは、その後「エクスポジシオン・ド・ブラン」という、ワイシャツ、ブラウス、下着、シーツ、タオルなどの白物の大売り出しで評判を得ていく。
ここで「エクスポジシオン」という言葉が使われているのは、このアイデアが、博覧会からヒントを得た可能性を示唆しているといっていいだろう。
ブシコー夫妻は、当時パリで開催された2つの万博、1855年パリ万博、1867年パリ万博にヒントを得て、小売業における商品の新しい展示手法、販売促進方法を開発したのであった。
その後、「ボン・マルシェ」は万博に積極的に参加していく。
1878年パリ万博では、「ガン・ブシコー」と名づけた手袋が金メダルを獲得した。
また、1900年パリ万博では、「ボン・マルシェ」館というパビリオンを出展している。
1925年アール・デコ博に出展した「ボン・マルシェ」と「ギャラリー・ラファイエット」
そして続く1925年パリ万博(アール・デコ博)でも出展を続けていく。
このあたりの話については、
でもご紹介した。
この博覧会は正式名称を
装飾芸術・現代産業万国博覧会
といい、1925年4月30日~10月15日にパリで開催された。
この万博は、日本でも「アール・デコ博」と言われることが多いが、この万博のフランス語による名称「Exposition Internationale des Arts Décoratifs et Industriels Modernes」の略称にちなんで名付けられた「アール・デコ(Arts Décoratifs)」様式が国際的に流行するきっかけになった万博である。
もっとも、「アール・デコ」という様式の名前については、この博覧会期間中に流行した言葉ということではなく、ずっと後の第二次世界大戦後になってからそう言われるようになったらしい。当時は「アール・モデルヌ」(現代芸術)というふうに言われていたとのことである。
さて、この万博は、この「産業美術」という側面も大きかったので、ビジネスとしてそれを手がけるデパートもいくつかパビリオンを出展していたのである。
今もパリで人気を集める「ボン・マルシェ」、「ギャラリー・ラファイエット」などもアンヴァリッドの会場に、大規模なパビリオンを出展していた。

1925アール・デコ博 アンヴァリッドの遊歩道
1925 Arts Deco Expo Principal view on the “Esplanade des Invalides”

1925年「アール・デコ博」
ギャラリー・ラファイエット館
Expo 1925 Arts décoratifs
Pavillon des Galeries Lafayette

1925年「アール・デコ博」
ボン・マルシェ館
Expo 1925 Arts Décoratifs
Bon Marché Pavilion
「ギャラリー・ラファイエット」と「ボン・マルシェ」
今回この2つのデパートを訪れてみた。
特に「ギャラリー・ラファイエット」はガルニエのオペラ座の近くの目抜通りに大規模に出店している。売り場面積は7万㎡とのことである。

ギャラリー・ラファイエット外観とロゴサイン
photo©️Kyushima Nobuaki
1912年建造のネオビザンチン様式のクーポール(丸天井)は一見の価値ありの大規模で壮大なものである。
このクーポールと写真を撮るために空中には展望台がせり出しており、来客は携帯で予約して並んでいる。大変な人気スポットになっている。

ギャラリー・ラファイエット内部の美しいステンドグラスのクーポール(丸天井)
photo©️Kyushima Nobuaki

ギャラリー・ラファイエット内部の美しいステンドグラスのクーポール(丸天井)
photo©️Kyushima Nobuaki

ギャラリー・ラファイエット内部の美しいステンドグラスのクーポール(丸天井)
photo©️Kyushima Nobuaki
また、本館屋上のテラスはオペラ座(パレ・ガルニエ)や凱旋門、エッフェル塔などを一望できるスポットとなっている。

「ギャラリー・ラファイエット」本館屋上テラスから見たオペラ座(パレ・ガルニエ)
photo©️Kyushima Nobuaki

「ギャラリー・ラファイエット」本館屋上テラスから見たエッフェル塔方面
photo©️Kyushima Nobuaki

「ギャラリー・ラファイエット」本館屋上テラスにあるクーポール(丸天井)の建築風景写真
photo©️Kyushima Nobuaki
一方「ボン・マルシェ」はセーヌ川左岸に位置している。
規模感では「ギャラリー・ラファイエット」には及ばないが、荘厳な外観と開放的で美しい内装である。
「ギャラリー・ラファイエット」に比べると「ボン・マルシェ」は比較的落ち着いた雰囲気といえる。

プランタン・オスマン本店
photo©️Kyushima Nobuaki

プランタン・オスマン本店内部
photo©️Kyushima Nobuaki
この現在の建物の原型は、1869年にブシコー夫妻がルイ=シャルル・ボワローとギュスターヴ・エッフェル(鉄骨構造等の担当)を雇い、パリのオペラ座をモデルに大規模な改装を行い、1887年に完成したものである。
そして「ボン・マルシェ」は、1984年には、世界最大のラグジュアリーコングロマリットであるLVMH (モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン) グループによって買収され、現在もその傘下にあり、LVMHのセレクティブ・リテーリング部門の一部となってる。
そのルイ・ヴィトンも万博関連のブランドであるが、その話はまたの機会に譲ろう。