グルネル橋たもとの『自由の女神』
<161>で少しご紹介したパリ版『自由の女神』。

エッフェル塔から見たセーヌ川の「白鳥の島」
先端にパリ版『自由の女神』がたっている
photo©️Kyushima Nobuaki
この、エッフェル塔からも見える『自由の女神』は、ニューヨークにある『自由の女神』と同じデザインである。
しかし、サイズは約4分の1となっている。

セーヌ川観覧船バトー・ムーシュからみたパリ・「白鳥の島」の先端にたつ『自由の女神』。背後にグルネル橋とエッフェル塔を望む。
photo©️Kyushima Nobuaki
そもそもこのニューヨークの『自由の女神』は万博に出展された万博関連事物なのである。
このあたりについては
でも詳しくご紹介した。
その内容も要約しながら、今回訪れたパリ版『自由の女神』をご紹介しよう。
万博に出展されたニューヨークの『自由の女神』
そもそも、この像は、アメリカ独立100周年のお祝いに、フランスからアメリカに贈られたものだった。
さらに、この『自由の女神』も、実は万博に「出展」されたことがあった。
しかも2回も、そして制作費を稼かせぐための資金集めとして。
『自由の女神』の制作者は、フランスの彫刻家フレデリック・オーギュスト・バルトルディ(1834~1904)。
サイズは高さ46.05メートル(台座を含めると92.99メートル)で当時「世界最大の彫刻」といわれた。
フィラデルフィア万博、パリ万博で資金集め
そんな『自由の女神』だが、完成はアメリカ独立100周年の1876年には間に合わなかった。
資金不足の問題が大きかったのである。
フランス側が彫像を、アメリカ側が台座を造るという分担だったが、その双方で資金不足が問題になった。
そこで、万博でも資金調達がおこなわれたのである。
1876年、アメリカ独立100周年を記念するフィラデルフィア万博、そして1878年パリ万博。
この両方の万博に、資金調達の目的もあって、『自由の女神』は展示されたのである。
とはいっても、もちろん像はまだ完成していたわけではない。
フィラデルフィア万博ではその腕と手と松明部分が、パリ万博では頭の部分が、と分けて展示された。
どちらも「展示物」としては巨大だ。
フィラデルフィア万博では、料金を払えば、松明の下にもうけられた展望台に上ることができるようになっていた。
またパリ万博では、現在エッフェル塔が建っている場所の目の前の広大な敷地、シャン・ド・マルスの庭園に、『自由の女神』の頭部が展示され、この像の頭部に上ろうと毎日多くの人々が列をなしたという。
エッフェルが内部構造を製作
<161>でご紹介したエッフェル塔はその10年あまり後、1889年の第4回パリ万博のときに造られたものであるが、この『自由の女神』の内部構造を製作したのが、そのエッフェル塔で有名なギュスターヴ・エッフェルその人であった。
向かい合う2つの『自由の女神』
『自由の女神』像は1884年にやっとフランスで完成した。
運搬にあたっては、350ものパーツに分けられ、214箱の木枠につめられて、1885年に船でニューヨークに届いた。
それから4カ月かけて、アメリカ側で用意した台座の上に再度組み立てられ、当初の計画から10年遅れの1886年10月28日、ついにニューヨーク港リバティ島に完成したのである。

ニューヨークの『自由の女神』
photo©️Kyushima Nobuaki
像は、右手に自由の松明を掲げ、左手には「1776年7月4日」と記した独立宣言書を抱えてアメリカの民主主義の象徴となり、ニューヨークを訪れるすべての人々を迎えるモニュメントとなった。
そして、それから約100年後の1984年には、ユネスコの「世界遺産」に登録された。
フランスからのこの壮大な贈り物のお返しとして、パリ在住のアメリカ人コミュニティからパリ市に贈られたのが、ニューヨークの『自由の女神』の約4分の1の大きさのパリ版『自由の女神』である。
この像は、高さ11.4メートル(台座を含めると20.5メートル)、重さ14トンのブロンズ製で、1885年には完成していたものの、公式には1889年のフランス革命100周年を待ってフランス側に贈られた。

セーヌ川観覧船バトー・ムーシュからみたパリ・「白鳥の島」の先端にたつ『自由の女神』。背後の橋がグルネル橋。
photo©️Kyushima Nobuaki
このパリ版『自由の女神』がパリでオープンしたのは1889年7月4日であり、1889年パリ万博開催中のアメリカ独立記念日のことであった。
パリのセーヌ川グルネル橋のたもとに建つ『自由の女神』は、初めエッフェル塔側を向いていた。

セーヌ川観覧船バトー・ムーシュからみたパリ・「白鳥の島」の先端にたつ、ニューヨークの方向を向いている『自由の女神』。
photo©️Kyushima Nobuaki
しかし、1967年のグルネル橋改修の際、作者バルトルディが生前願っていたように、大西洋をはさんでニューヨークの『自由の女神』と向かい合うように設置し直され、現在にいたっている。