<198>今も残る「エキシビジョン・ストリート」

1888-89 Melbourne
Victoria StreetとExhibition Streetのサイン photo©️Kyushima Nobuaki

万博会場近くに残る「エキシビジョン・ストリート」

1880-81年メルボルン万博1888-89年メルボルン万博(百年祭国際博覧会)両方のメイン会場となったのが、カールトン庭園とその中にたつ王立展示館である。

現在のカールトン庭園、ホッホグルテル・ファウンテンと王立展示館
photo©️Kyushima Nobuaki

現在のカールトン庭園の様子
photo©️Kyushima Nobuaki

現在のカールトン庭園のサイン
photo©️Kyushima Nobuaki

このカールトン庭園の南を走るのが、ヴィクトリア・ストリートである。
そして、庭園の南西部分からヴィクトリア・ストリートから南に延びているのが「エキシビション・ストリート(Exhibition Street、万博通り)」である。

Victoria StreetとExhibition Streetのサイン
photo©️Kyushima Nobuaki

ロンドンにも1851年ロンドン万博会場であったハイドパークの南に同じような名前の「エキシビション・ロード(Exhibition Road)」がある。

この「エキシビション・ロード」1851年ロンドン万博のために新たに整備された道であり、最初から現在にいたるまで「エキシビション・ロード」という名前であった。

今もサウス・ケンジントンに残る「EXHIBITION ROAD」の標識
The “EXHIBITION ROAD” sign still remains in South Kensington
photo©️Kyushima Nobuaki

この「エキシビション・ロード」をハイドパークから南に下っていくと、左手にヴィクトリア・アンド・アルバート・ミュージアムがある。
この美術館も、そして「エキシビション・ロード」付近にあるロンドン自然史博物館サイエンス・ミュージアムなどもロンドン万博の収益金によって建てられた施設なのである。

そして、ここメルボルンにも同じような名前の道が残っているのである。

このカールトン庭園とその中にたつ王立展示館では2回にわたって万博が開催された。

「エキシビション・ストリート」に改名された経緯

ではこの「エキシビション・ストリート(Exhibition Street)」はいつ、その万博を表す名前に変更されたのであろうか。

ロンドンの「エキシビション・ロード」と異なり、もともとこの通りは、「スティーブン・ストリート(Stephen Street)」という別の名前で呼ばれていた通りであった。

これは、イギリスの大蔵省次官であったジェームズ・スティーブン(James Stephen)にちなんで名付けられたものである。

しかし、万博が開催される前、このあたりのエリアはスラム化が進み、犯罪や売春の温床となっていたことから、市民の間では「悪名高い通り」というイメージが定着していた。

そこで、この通りのイメージを一新するため改名することにしたのである。

Victoria StreetとExhibition Streetのサイン
photo©️Kyushima Nobuaki

改名されたのは1898年12月。
2度の万博が開催された後であった。

2度の万博の成功にあやかってエリアのイメージ向上を目指した住民やビジネスオーナーたちがメルボルン市議会に改名を強く要望したのである。

Victoria StreetとExhibition Streetのサインがたつ交差点
photo©️Kyushima Nobuaki

Exhibition Streetにたつ案内サイン
photo©️Kyushima Nobuaki

そして、通り名を改名し、イメージアップに成功した後は、コメディ・シアター(Comedy Theatre)旧ハー・マジェスティーズ・シアターなどのエンターテインメント施設が集まる、文化的な通りへと変貌を遂げたのである。

このように、「エキシビション・ストリート」への改名は、万博がエリア開発、イメージ向上に寄与した一つの成功事例となっているのである。

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