<158>1900年パリ万博の際に完成したアレクサンドル3世橋

1900 Paris
アレクサンドル3世橋の向こうにプティ・パレが見える photo©️Kyushima Nobuaki

1900年パリ万博の際に完成した「アレクサンドル3世橋」

<156>でご紹介したセーヌ川左岸にたたずむオシップ・ザッキン『メッセンジャー』

セーヌ河畔にたたずむオシップ・ザッキン『メッセンジャー』
『LE MESSAGER』ZADKINE 1898-1967
という刻印が確認できる
photo©️Kyushima Nobuaki

この『メッセンジャー』はセーヌ川左岸、アンバリッド橋の西側のところに位置している。

その『メッセンジャー』から歩いて東へ向かう。

アンバリッド橋を過ぎてさらにセーヌ川を左手に見ながら左岸を東へ進むと、左手にひときわきらびやかな橋が見えてくる。

この橋こそが、1900年パリ万博の際に完成した「アレクサンドル3世橋」である。

アレクサンドル3世橋の向こうにプティ・パレが見える
photo©️Kyushima Nobuaki

アレクサンドル3世橋
photo©️Kyushima Nobuaki

アレクサンドル3世橋。左にグラン・パレ、右奥にプティ・パレがある
photo©️Kyushima Nobuaki

バトー・ムーシュの船上からみたアレクサンドル3世橋
photo©️Kyushima Nobuaki

バトー・ムーシュの船上からみたアレクサンドル3世橋とグラン・パレ
photo©️Kyushima Nobuaki

アレクサンドル3世橋の装飾
photo©️Kyushima Nobuaki

アレクサンドル3世橋の装飾
photo©️Kyushima Nobuaki

アレクサンドル3世橋の装飾
photo©️Kyushima Nobuaki

右手にナポレオンの眠るアンヴァリッド、左手、この「アレクサンドル3世橋」を渡った先にはグラン・パレプティ・パレが位置している。

この「アレクサンドル3世橋」は、32あるパリの橋の中で一番豪華な橋といわれている。

アレクサンドル3世橋。
1897 PONT ALEXANDRE III 1900
という刻印がある。
photo©️Kyushima Nobuaki

この橋は、鋼鉄製の単一アーチの橋で、幅は40m、長さは107mである。

橋の上の柱には下記のような文言が記されている。

L EXPOSITION
UNIVERSELLE INTERNATIONALE
DE 1900
A ETE
ORGANISEE ET DIRIGEE
PAR
ALFRED PICARD
COMMISSAIRE GENERAL
ASSISTE DE
DELAUNAY-BELLEVILLE DERVILLE
BOUVARD GRISON DEFRANCE, CHARDON RESAL
DIRECTEURS GENERAUX
DIRECTIURS
ET CHEFS DE SERVICE
(翻訳)
1900年万国博覧会は、アルフレッド・ピカール総代表が企画・指揮し、ドローネ=ベルヴィル、デルヴィル、ブヴァール、グリゾン、ドゥフランス、シャルドン・レサル、そして各部門の事務局長や部長らが補佐した。

アレクサンドル3世橋の柱と銘板
photo©️Kyushima Nobuaki

アレクサンドル3世橋の銘板
photo©️Kyushima Nobuaki

アレクサンドル3世と露仏同盟

ところで、このアレクサンドル3世とは誰か、そしてどうしてこの橋にその名前がつけられたのか。

アレクサンドル3世(1845-1894)はロシアの皇帝であった。

ロマノフ朝第13世ロシア皇帝、ということになる。

1881年に即位し、病気で死去する1894年11月1日まで皇帝の座にあった。

その息子がニコライ2世(1868-1918)である。
在位は1894-1917。

ロシア革命が起きたのが1917年である。
ニコライ2世はロマノフ朝最後のロシア皇帝ということになった。
つまり、アレクサンドル3世は最後から2番目のロシア皇帝、ということになる。

ところでこのニコライ2世であるが、皇太子であった1891年に来日している。

滞在中、日本の警官から切り付けられて頭部を負傷するという事件(大津事件)に遭ったりした。

この件については明治天皇が直接謝罪するなどして、日露の友好は保たれた。

ということで日本とも関わりのある人物である。

このアレクサンドル3世ニコライ2世の親子は、ヨーロッパにおいては友好政策をとり、1894年にフランスと露仏同盟を締結した。

アレクサンドル3世が同盟の交渉・締結・批准を行い、同盟は、彼が存命中の1894年1月に発効している。
それを引き継いだ息子ニコライ2世はその同盟を維持・発展させたのである。

そして、この橋は、そのロシア最後の皇帝ニコライ2世により、実際に露仏同盟を実現した父アレクサンドル3世と、フランス共和国の大統領マリー・フランソワ・サディ・カルノー(1837-1894 大統領任期1887-1894)と、の友好を記念して、1900年パリ万博にあわせて建設され、パリ市に寄贈されたものである。

「アレクサンドル3世橋」は125年経った今でも、ひときわきらびやかにセーヌ川を彩っているのである。

アレクサンドル3世橋からエッフェル塔を望む
photo©️Kyushima Nobuaki

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