写実主義の画家・ギュスターヴ・クールベ
オルセー美術館には万博に関連した作家の作品が多数所蔵されている。
そのうちで最も有名な作品のひとつが写実主義で有名な画家、ギュスターヴ・クールベ(1819~1877)の『画家のアトリエ』である。
今回オルセー美術館訪問の際は、修復のためか、作品の周囲に仮設の壁がたてられ、入れないようになっていたが、壁の上部から作品を垣間見ることはできた。

オルセー美術館所蔵のクールべ『画家のアトリエ』
現在修復中で仮設の壁に囲まれている。(2025年3月現在)
photo©️Kyushima Nobuaki
この作品が作成されたのは1855年。
第1回目となるパリ万博のために作成された。
1855年パリ万博で落選した『画家のアトリエ』
この1855年パリ万博は「農業、産業、美術の万博」と謳われ、美術展専用会場がモンテーニュ大通りに造られることとなった。
そしてそこでは、ドラクロワ、アングル、ドゥカン、ヴェルネといった4人の画家に、それぞれ1室が与えられた。
この1855年パリ万博では、クールべは『石割り人夫』『こんにちはクールベさん』など11点については万博会場での展示が認められた。
しかし、この万博のために描いた大作であるこの『画家のアトリエ』や『オルナンの埋葬』が落選して出展を拒否されたのである。
万博会場外で開催された「レアリスム展」
そこで反骨精神旺盛なクールべは『画家のアトリエ』を含む作品約40点を万博会場の外で展示しようと思い立ち、実行したのである。
これが有名な「レアリスム展」である。
万博の美術展パビリオンに向かい合う場所に独自の会場を造り、入場料1フラン(現在の1000~2000円くらいかと思われる)に設定した。
しかし、残念ながら来場者はクールベが期待していたほどではなかったという。
当時、歴史画や宗教画といった作品のほうが芸術と称され、現実の労働者や農民の姿を、美化せず、ありのままに描くクールベの手法はなかなか世間に受け入れられなかった。
さらに、当時もっとも権力を持ち、万博開催を主導していたナポレオン3世を非難するサイドにいたことも関係しているように思われる。
落選したこの『画家のアトリエ』にしても、真ん中の画家を境にして、右側にはクールベのパトロンや詩人ボードレールなど、彼の理解者が描かれている。

オルセー美術館所蔵のクールべ『画家のアトリエ』
現在修復中で仮設の壁に囲まれている。(2025年3月現在)
photo©️Kyushima Nobuaki
一方、左側には、詐欺師など「悪なるもの」が描かれているとされるが、この左側にいる密猟者の顔はナポレオン3世そっくりに描かれていたのだから、為政者側としてはこの絵を受け入れるわけにはいかなかったのだろう。
逆にいえば、よく万博会場内で11点もの作品の展示が許されたものである。
この縦361cm、横598cmという巨大な名作を垣間見る時、1855年パリ万博当時の世相が感じられてくるのである。