万博当時の「ネパール館」
1988年ブリスベン万博当時のパビリオンで唯一残っているのが「ネパール平和パゴダ 」である。
万博時のネパール館が移設されたものである。
万博の会場マップをみると、現在の「クィーンズランド海洋博物館(Queensland Maritime Museum)」近くのアジアパビリオンゾーンに位置していた。
現在の「ネパール平和パゴダ 」は会場を縦断する形で一番逆の端っこのサウス・ブリスベン駅の近くに位置している。
観覧車「ホイール・オブ・ブリスベン」に近いほうである。
ネパール館は万博では人気で来場者上位ランキングで6位に入っている。
ちなみに1位はニュージーランド館、2位はオーストラリア館、3位はクィーンズランド館、4位は日本館、5位はスイス館だった。
ネパール館は建物そのものが展示物、といったものだった。
このパビリオンの建物はネパールの職人が現地で手彫りした精緻な彫刻や、釘を使わない伝統工法であり、他のパビリオンの多くがつくば科学博で多用されたような映像展示を採用する中、タンジブルな展示で人気を集めたのである。

ネパール平和パゴダ (Nepalese Peace Pagoda)。
ブリスベン万博時のネパール館。
photo©️Kyushima Nobuaki

ネパール平和パゴダ (Nepalese Peace Pagoda)。
ブリスベン万博時のネパール館。
photo©️Kyushima Nobuaki

ネパール平和パゴダ (Nepalese Peace Pagoda)に立つ象。
photo©️Kyushima Nobuaki

ネパール平和パゴダ (Nepalese Peace Pagoda)の彫刻群
photo©️Kyushima Nobuaki

ネパール平和パゴダ (Nepalese Peace Pagoda)に設置された鐘
photo©️Kyushima Nobuaki

ネパール平和パゴダ (Nepalese Peace Pagoda)。
ブリスベン万博時のネパール館。
photo©️Kyushima Nobuaki

ネパール平和パゴダ (Nepalese Peace Pagoda)。
ブリスベン万博時のネパール館。
photo©️Kyushima Nobuaki

ネパール平和パゴダ (Nepalese Peace Pagoda)。
ブリスベン万博時のネパール館。
photo©️Kyushima Nobuaki

ネパール平和パゴダ (Nepalese Peace Pagoda)サイン
photo©️Kyushima Nobuaki
そういった手作りのこのパビリオンは単なる仮設展示ではなく、文化遺産として認識され、また、分解・再組立可能な伝統工法だったこともあり移設されることが決まったのである。
ブリスベン万博で唯一残っているパビリオンがこのネパール館である。
現在の「ネパール平和パゴダ 」
そのネパール館、現在は「ネパール平和パゴダ 」と呼ばれている。
なるほど見事な建築物、そして彫刻である。

ネパール平和パゴダ (Nepalese Peace Pagoda)。
ブリスベン万博時のネパール館。
photo©️Kyushima Nobuaki
施設の前には、写真付きの解説パネルが設置されている。

ネパール平和パゴダ (Nepalese Peace Pagoda)。
ブリスベン万博時のネパール館。
photo©️Kyushima Nobuaki
そこには次のように述べられている。(日本語翻訳、左のパートから右へ)
なぜネパール平和パゴダはサウスバンク・パークランズにあるのか?
ネパール平和パゴダは、もともとエキスポ88のためにサウスバンクに設置されました。その成功を受けて、このパゴダは垂涎の的となり、複数の国際的な入札者がその所有権を巡って競い合いました。
現在もこの場所に留まっているのは、慈善家のフランク・ピット氏とマイラ・ピット氏からの寛大な寄付に加え、ブリスベン市民、オーストラリア政府、ブリスベン市議会からの支援のおかげです。
ネパール平和パゴダは、ネパール王国の委託を受け、アジア文化保存協会によって建立されました。ネパールの卓越した木彫りの伝統を体現するべく設計されたこのパゴダには、いくつかの特徴があります。カトマンズのパシュパティナート寺院を忠実に再現していること、オーストラリアにある唯一のネパール平和パゴダであること、そしてネパール国外にある3つの平和パゴダのうちの1つであることです。このパゴダの建造は容易なことではありませんでした。カトマンズ盆地の職人160人が、丸2年かけて手彫りで完成させたのです。建造には、ネパールのソイテイン林から採取された80トン以上のタライ森林の木材が使用されました。
世界各国を紹介し、その魅力を称える万博、EXPO 88は、1988年4月30日、エリザベス2世女王陛下によりサウスバンクで正式に開会されました。万博88は大成功を収め、6ヶ月間の開催期間中に約1600万人が訪れました。イベントのマスコットはカモノハシの「エキスポ・オズ」で、テーマは「テクノロジー時代のレジャー」でした。このイベントには、36カ国、2つの国際機関、14の州・地方政府、34の企業が出展しました。また、ブリスベンにも大きな遺産を残しました。観光客を呼び込み、文化的な変革を促し、サウスバンクが世界クラスの公共空間としての可能性を秘めていることを示しました。パゴダはEXPO 88のネパール館の一部であり、サウスバンク・パークランズに残る最後の国際展示物です。 1991年、このパゴダはEXPO 88の会場(バルチャー・ストリート付近)から現在の場所に移設されました。今もなお、静かに物思いにふける人々に人気の場所であり、ブリスベンが過去数十年間でどれほど発展してきたかを思い起こさせる場所となっています。
このパゴダは、神々、女神、そして神話上の生き物を象徴的に表現した精緻な彫刻で装飾されています。天井には仏陀の悟りの場面が描かれ、扉や柱には神々の像が、壁には花々が飾られています。入口の上部にはネパール語の文字と数字が刻まれ、内部には慈悲の神である観音菩薩像が参拝者を迎えます。その他の注目すべきデザイン要素としては、金箔で覆われた三重の頂部を持つ二層構造の真鍮張りの屋根、入口上部の屋根から垂れ下がる長い真鍮のリボン、そして1階のアーチ型の開口部の間に設置された手彫りの衝立などが挙げられます。パゴダには、同じデザインの2つのパビリオンが併設されています。彫刻が施された建物、反射池、ネパール式庭園、平和の鐘、そして石彫刻が一体となって、静謐な雰囲気を醸し出しています。
平和の塔は、世界平和のためにすべての人々を結びつける仏教の記念碑です。世界には80基以上の平和の塔があり、インド、日本、韓国、ネパール、スリランカ、ドイツ、オーストリア、イタリア、イギリス、ラトビア、カナダ、メキシコ、アメリカ合衆国、オーストラリアなどで見ることができます。平和の塔は、平和の力強い象徴となり得ます。例えば、第二次世界大戦で原爆によって破壊された広島と長崎に建てられた平和の塔などが挙げられます。これらの平和の塔の多くは、日本の僧侶である藤井日達(1885-1985)が率いる日本山妙法寺によって建てられました。ネパールの世界遺産であるルンビニ仏教巡礼地にも平和の塔が建てられています。藤井は1931年にマハトマ・ガンジーと出会った後、平和の塔の建立を通して世界平和の促進に生涯を捧げました。
また、パゴダのすぐ前の金属のパネルには、以下のように書かれている。

ネパール平和パゴダ (Nepalese Peace Pagoda)。
ブリスベン万博時のネパール館。
photo©️Kyushima Nobuaki

ネパール平和パゴダ (Nepalese Peace Pagoda)に設置されたプレート
photo©️Kyushima Nobuaki

ネパール平和パゴダ (Nepalese Peace Pagoda)に設置されたプレート
photo©️Kyushima Nobuaki
EXPO 88 NEPALESE PEACE PAGODA
EXPO 88 ネパール平和パゴダ
ネパール、カトマンズ渓谷の職人たちが
88年ブリスベン万博のために建造
平和、愛、豊穣、そして調和の創造物である
右側のパートには「パゴダ保存委員会」のメンバーリスト、主要個人寄付者、協力者のリストが書かれている。
そして下部には
と書かれている。
万博終了後40年近く経った今もこのように万博の記憶を未来に繋ぐ試みは世界各地で行われているのである。

