東京都庭園美術館「ルーシー・リー展」
現在、東京・港区の東京都庭園美術館で
という展覧会が開催中である。
会期は2026年7月4日ー9月13日。

ルーシー・リー展サイン
photo©️Kyushima Nobuaki
ルーシー・リー(1902-1995)はオーストリア・ウィーンで生まれ、イギリスで活躍した陶芸家である。
今回の展覧会では、彼女がウィーンで出会ったヨーゼフ・ホフマンや、ロンドン時代に知り合ったバーナード・リーチ、ハンス・コパーなど、リーと交流のあった作家たちの作品も展示されている。

上野リチ・リックス(装飾)/ヨーゼフ・ホフマン(形) リキュールグラス
photo©️Kyushima Nobuaki
日本の民藝運動に深く関わったバーナード・リーチや濱田庄司とも親交があった。
1980年代には三宅一生とも親交を深めている。
ルーシー・リーの作品の特徴は、何といってもその薄さと繊細さにあるだろう。
端正なフォルムと美しい釉薬の色彩が調和し、独特の緊張感を生み出している。
非常に美しい。
彼女はロンドン移住後、バーナード・リーチの影響を受け、厚みのある力強い造形の作品を制作した時期もあった。しかし、その後は再び独自の繊細な造形を追求し、洗練された作風を確立していく。
今回の展覧会でも、その変遷をたどることができた。

ルーシー・リー 鉢
photo©️Kyushima Nobuaki

ルーシー・リー展 展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki

ルーシー・リー展 展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki

ルーシー・リー展 展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki

ルーシー・リー展 展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki

ルーシー・リー展 展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki

ルーシー・リー展 展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki

ルーシー・リー展 展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki

ルーシー・リー展 展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki

ルーシー・リー展 展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki

ルーシー・リー展 展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki

ルーシー・リー展 展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki

ルーシー・リー展 展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki
ルーシー・リーと万博 ー2つの万博でメダルを受賞
さて、このルーシー・リーであるが、じつは万博とも深い関わりがあった。
今回の展覧会図録によると、彼女は1930年代に開催された国際博覧会に出品し、数々の賞を受賞している。
具体的には、
という輝かしい経歴を持っている。
なお、ミラノ・トリエンナーレは、厳密には万博とは異なる、デザインや建築、工芸などを対象とした国際展覧会である。
つまり、ルーシー・リーは1935年と1937年の2つの万博でメダルを受賞していたのである。
1935年ブリュッセル万博で金メダル
1935年ブリュッセル万博は、1935年4月27日から11月6日までベルギーの首都ブリュッセルで開催された。
BIE(博覧会国際事務局)の制度のもとで開催された最初の第1種一般博覧会(大型博)であり、ベルギー初の鉄道開通100周年を記念して、「交通(Transport)」をテーマに開催された。
約2,000万人の来場者を集めた大規模な万博であった。
ルーシー・リーは、この万博に陶芸作品を出品し、金メダルを受賞している。
当時、彼女はまだウィーンを拠点に活動していた。
すでにヨーロッパの工芸界では高く評価されていたことがわかる。
1937年パリ万博では70点の陶器を出品
さらに興味深いのが、1937年パリ万博への出品である。
この万博では、ルーシー・リーの陶器70点がオーストリア館に展示され、銀メダルを受賞した。
しかも、この70点の作品を選んだのは、ウィーン分離派やウィーン工房で知られる建築家・デザイナーのヨーゼフ・ホフマンだったという。
ホフマンは早くからリーの才能を認め、その作品を国際的に紹介する役割を果たしていた。
1937年パリ万博への出品も、その関係の延長線上にあったのであろう。
1937年パリ万博といえば、ピカソの《ゲルニカ》がスペイン共和国館に展示されたことでも知られる。

『水銀の泉』の展示室にかけられた、1937年パリ万博スペイン共和国館における『ゲルニカ』、『水銀の泉』、アレクサンダー・カルダーの写真。
photo©️Kyushima Nobuaki
その同じ万博のオーストリア館に、ルーシー・リーの陶器が70点も展示されていたというのは興味深い。
その翌年、1938年にはナチス・ドイツによるオーストリア併合が起こり、ユダヤ系の家庭に生まれたリーはイギリスへと移住することになる。
つまり、1937年パリ万博は、彼女がウィーンを拠点として活躍していた時代の最後を飾る国際舞台の一つでもあったのである。
なお、1935年ブリュッセル万博、1937年パリ万博のいずれについても、具体的な出品作品の全容までは確認できていない。
今後、当時の公式目録などを調べてみたいところである。
1925年パリ・アール・デコ万博にも出品
今回、関連資料を調べてみると、図録に書かれている上記2万博以外にも、ルーシー・リーと万博の関連が見つかった。
じつはルーシー・リーの万博との関わりは、1935年ブリュッセル万博よりさらに10年前にさかのぼる。
1925年パリのアール・デコ博覧会にも、当時22~23歳だったリーは作品を出品していたのである。

1925アール・デコ博 アンヴァリッドの遊歩道
1925 Arts Deco Expo Principal view on the “Esplanade des Invalides”

1925年「アール・デコ博」
コンコルド広場エントランス
Expo 1925 Arts Décoratifs
Entrée Place de la Concorde
このときリーは、ウィーン工芸学校の学生であり、グレーテ・ザルツァー(Grete Salzer)と共同制作した等身大の陶製人物像が展示されたという。(オーストリア館に展示された、という説もあるが現時点で確定できていない)
作品は「2つの鉢を持つ人物像」で、後年のリーの洗練された器とは大きく異なるものだった。
ただし、出品作品の総数や展示室の詳細については、なお調査が必要である。
1851年ロンドン万博で出展したウェッジウッドの作品も
ちなみに、今回の展覧会ではウェッジウッドのジャスパーウェアの作品も展示されていた。

ウェッジウッド ジャスパーウェア
photo©️Kyushima Nobuaki
ウェッジウッドといえば、「ウェッジウッドブルー」と呼ばれる淡い青色の陶器が有名である。
このウェッジウッドは、ジョサイア・ウェッジウッド(1730~1795)が1759年、イギリスのバースレムで創業した陶磁器メーカーである。
そして、世界初の万博である1851年ロンドン万博にも、大型の花瓶などを出品していた。
陶磁器と万博の関係は、じつに長い歴史を持っている。
今回の展覧会に関連するものだけでも、1851年ロンドン万博に出品したウェッジウッドから、1925年パリ・アール・デコ博覧会、1935年ブリュッセル万博、1937年パリ万博に作品を出品したルーシー・リーまで、陶磁器と万博の長い関わりをたどることができる。
万博は、陶芸家や陶磁器メーカーが自らの技術や美意識を世界に発信する舞台でもあったのである。


