<160>パリ・イエナ街のBIE(博覧会国際事務局)

1970 Osaka
パリのBIE入り口サイン photo©️Kyushima Nobuaki

久しぶりに訪れたBIE

今回パリを訪れるにあたって、BIE(博覧会国際事務局)を訪れてみた。

私が以前、美術展の作業等でパリによく出張に入っていた頃は、同じパリのビクトル・ユーゴー街にあった記憶があるが、現在は近くのイエナ街34番地に引っ越している。

パリのBIE入り口
photo©️Kyushima Nobuaki

パリのBIE入り口サイン
photo©️Kyushima Nobuaki

パリのBIE入り口サイン
photo©️Kyushima Nobuaki

パリのBIE受付後ろのBIEロゴパネル
photo©️Kyushima Nobuaki

そのイエナ街のBIEには、2005年「愛・地球博」「BIEデー」の打ち合わせで行って以来なので、20年ぶりの再訪となる。

当時はまだロセルタレス氏が事務局長であった。

2004年に出版した拙著『万博発明・発見50の物語』(講談社)を贈呈し、ロセルタレス氏はBIEの図書館に保管するとおっしゃっていただいたこともいい思い出だ。

BIEについては拙著『万博100の物語』(ヨシモトブックス)に詳述したのでここでは簡単にご紹介しよう。

1928年、フランスの招請に応じた40カ国によって博覧会に関する会議がおこなわれ、「国際博覧会に関するパリ条約」31カ国の代表団により調印された。

これは各国間で万博開催についてのもろもろの調整ごとが必要になってきたための会議であり条約であった。

そしてその条約を保持するために設立されることになったのがBIE(Le Bureau International des Expositions)ということになる。

今はなき「国際連盟」の下部組織

そして、BIEは1931年5月「国際連盟」(1920~1946)の下部組織として位置づけられた。

国際連盟が国家間条約第24条に従って、この法人をその権限下に置くことを承諾したのである。

その後第2次世界大戦の終戦後、国際連盟は解体した。
そして「国際連合」が発足して現在にいたる。

ところが……。今でもBIEは国際規約上、「国際連盟」という、もはや存在しない国際機関の下部組織であり続けている。
「国際連合」の下部組織に、BIEは存在していないのだ。

BIEのテーマ曲とロゴマーク

さて、このBIEには「BIE機関曲」というものが存在する。

その「BIE機関曲」とはドヴォルザーク交響曲第9番『新世界より』である。

この曲は各万博開催時の開閉会式や、「BIEデー」でのBIE旗掲揚時などにかけられている。

また、そのBIE旗であるが、そのロゴは1969年から使用されている。

BIEのロゴ
The Bureau International des Expositions (BIE) logo.svg

万博で初めて使われたのは1970年大阪万博ということになる。

BIE旗のアイデアは日本からBIEに提案され採択された。

17カ国から推薦のあった47点の中から選ばれたのは、当時東京教育大学4年だった松島正矩氏の作品だった

このロゴマークは、

 将来の人類の進歩、技術の発展、物質的進歩のみならず、精神的進歩、よりよい世界に向けた発展を連想させる。
円は民族間の平和、友愛及び文化の交流を象徴している。
横の線は限りなき進歩の未来へ向かう歩みを表している。
紫がかった青は、追求する目的の崇高さを示しており、広大な海と空の色である。
これは世界を、そして宇宙を思い起こさせる。不可侵の純粋さを持つ白の線は、正義を表している。
(マルセル・ガロパン著『20世紀の国際博覧会と博覧会国際事務局』)

ということで、このロゴマークのデザインはBIEの崇高な使命を象徴するものとなっているのである。

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