<233>箱根 彫刻の森美術館と井上武吉

1970 Osaka
井上武吉『my sky hole 84』 photo©️Kyushima Nobuaki

箱根 彫刻の森美術館

先日、神奈川県・箱根町にある箱根 彫刻の森美術館を訪れた。

ここは1969年9月6日に開館した野外彫刻を中心とした日本初の野外美術館である。

初代館長はフジサンケイグループ議長の鹿内信隆氏。

1972年には、箱根登山鉄道「二ノ平駅」が「彫刻の森駅」に改名された。

ここにはヘンリー・ムーアなど多くの彫刻が飾られている。

ヘンリー・ムーア『ふたつに分けられた横たわる像:No.1』
photo©️Kyushima Nobuaki

また、この中の「ピカソ館」にはその屋内にパブロ・ピカソの作品が多数展示されている。

設計者は彫刻家の井上武吉

この箱根 彫刻の森美術館の設計は井上武吉(いのうえ ぶきち、1930-1997)という彫刻家に託された。

井上は彫刻家でありながら、この野外美術館の設計も行ったのである。
井上は箱根 彫刻の森美術館だけでなく、その後池田20世紀美術館の設計も担当している。

井上武吉の作品はいろいろなところで見ることができる。

一番有名なのは『my sky hole(マイ・スカイ・ホール)』シリーズであろう。

その一つ、『my sky hole 85-2 光と影』東京都美術館の前に設置されているので、目にした方も多いだろう。

もちろん、箱根 彫刻の森美術館にも彼の作品は設置されている。

今回筆者はいくつかの井上武吉作品を見ることができた。

『my sky hole 84』

まず一つ目は 『my sky hole 84』(1984)という『my sky hole(マイ・スカイ・ホール)』シリーズのひとつである。

井上武吉『my sky hole 84』
photo©️Kyushima Nobuaki

解説パネルには以下のように書かれている

<マイ・スカイ・ホール>とは作者の入る穴を意味します。副題を「命」と名づけられた本作は、球体の中に万物が閉じ込められています。

東京都美術館のものと異なり、空いている穴が長くなっている。

『my sky hole 79 天をのぞく穴』

そして二つ目は『my sky hole 79 天をのぞく穴』という作品である。

解説パネルには以下のように書かれている。

鑑賞者の体験を作品としています。地下の小部屋にある穴から空を眺めていると地球の鼓動が感じられるようです。

黒い四角い入り口から入って地下に下り、窮屈な椅子に座って上を見上げる。するとそこから穴を通じて空が見上げられるのである。
そして、また階段を上がって透明なガラスの出口から出てくる。

井上武吉『my sky hole 79 天をのぞく穴』
左の黒い箱が入り口、右のガラスの箱が出口
photo©️Kyushima Nobuaki

井上武吉『my sky hole 79 天をのぞく穴』
螺旋階段を下る
photo©️Kyushima Nobuaki

井上武吉『my sky hole 79 天をのぞく穴』
この椅子に座って上を見る
photo©️Kyushima Nobuaki

井上武吉『my sky hole 79 天をのぞく穴』
上を見上げた景色
photo©️Kyushima Nobuaki

井上武吉『my sky hole 79 天をのぞく穴』
螺旋階段を上がる
photo©️Kyushima Nobuaki

なかなか面白い作品であった。

『my sky hole 84 HAKONE』

そして三つ目が『my sky hole 84 HAKONE』である。

『my sky hole 84 HAKONE』
井上武吉
photo©️Kyushima Nobuaki

東京都美術館のものや『my sky hole 84』とことなり、鏡面球体が中空に吊り下げられている。
野外美術館の通路の上に設置されており、周囲や観覧者本人も映る仕掛けになっている。

『my sky hole 94-6 森のラビラント』

そして最後が『my sky hole 94-6 森のラビラント』である。

これは本館ギャラリーから見える中庭のようなところに設置されている。

井上武吉『my sky hole 94-6 森のラビラント』
photo©️Kyushima Nobuaki

これは鏡面球体の作品ではなく、花崗岩を使った円盤のようなものが4つに分かれた状態で設置され、まわりはもみの木に囲まれている。

井上武吉と1970年大阪万博「土曜広場」

このように、興味深い作品を制作した井上武吉であるが、この箱根 彫刻の森美術館が開館した翌年に行われた1970年大阪万博にも関与している。

1970年大阪万博では「曜日広場」という広場を7つ設置した。

もちろん、メインの広場は「お祭り広場」という巨大広場であったが、会場を右回りに回る順序で、7つの曜日広場が設置された。「日曜広場」〜「土曜広場」である。

別に「日曜広場」は日曜しか空いていない、とか日曜日に特別な催事がある、というわけではなく、ネーミングとしてわかりやすいようにそのような名前にしたらしい。

そして、各「曜日広場」には彫刻が設置されることになった。

7つの「曜日広場」に「水すましの池」を加え、合計大彫刻8点が設置されることになり、丹下健三をはじめとする6人の識者の意見を聞いて人選が行われた。

その結果、候補者20人の試作を経て、次の8人、8作が選出された。
制作費は1人につき1000万円であった。

高松次郎 「遠近法による広場」(日曜広場)
伊原通夫 「PASSAGE」(月曜広場)
山口勝弘 「フレーム構造と光りの立体」(火曜広場)
榎本健規 「東西单北」(水曜広場)
福島敬恭 「BLUE」(木曜広場)
三木冨雄 「耳」(金曜広場)
井上武吉 「おさら」(土曜広場)
新宮 晋 「FLOATING SOUND-1969」(水すましの池)

さて、この「土曜広場」そして、井上武吉の「おさら」という作品は、会場内のどこにあって、どんな形状をしていたのだろうか。

「井上武吉」、「おさら」、「土曜広場」といったキーワードで検索しても出てこない。

そこで、1970年大阪万博の会場図を詳細にしらみつぶしに調べてみると、井上武吉が「おさら」を展示した「土曜広場」は、会場の北西部、ソ連館とベルギー館の前にあったことがわかった。

そこでもしやソ連館の写真に写り込んでいないかと思って、「1970年大阪万博、ソ連館」で画像検索すると、「これに違いない」、と思われる写真が出てきた。

この写真の右にはソ連館が見える。その左の目の前に白く広がっているのが多分「土曜広場」であろう。

そこには井上武吉的な真っ白な球体が見え、その前にはこれまた白いお皿状のオブジェがある。
その上にはいくつかの円柱が立っているように見える。

これが「土曜広場」と「おさら」だったに違いない。

やっとたどりついた「土曜広場」と「おさら」の発見に人知れず興奮を覚えた1日だった。

ちなみに「金曜広場」の作品として選ばれた三木冨雄 「耳」という作品のシリーズものもここ箱根 彫刻の森美術館に展示されているのである。

三木富雄『耳1、2、3』(1970-75)
photo©️Kyushima Nobuaki

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