箱根 彫刻の森美術館
先日、神奈川県・箱根町にある箱根 彫刻の森美術館を訪れた。
ここは1969年9月6日に開館した野外彫刻を中心とした日本初の野外美術館である。
初代館長はフジサンケイグループ議長の鹿内信隆氏。
1972年には、箱根登山鉄道「二ノ平駅」が「彫刻の森駅」に改名された。
ここにはヘンリー・ムーアなど多くの彫刻が飾られている。

ヘンリー・ムーア『ふたつに分けられた横たわる像:No.1』
photo©️Kyushima Nobuaki
また、この中の「ピカソ館」にはその屋内にパブロ・ピカソの作品が多数展示されている。
設計者は彫刻家の井上武吉
この箱根 彫刻の森美術館の設計は井上武吉(いのうえ ぶきち、1930-1997)という彫刻家に託された。
井上は彫刻家でありながら、この野外美術館の設計も行ったのである。
井上は箱根 彫刻の森美術館だけでなく、その後池田20世紀美術館の設計も担当している。
井上武吉の作品はいろいろなところで見ることができる。
一番有名なのは『my sky hole(マイ・スカイ・ホール)』シリーズであろう。
その一つ、『my sky hole 85-2 光と影』は東京都美術館の前に設置されているので、目にした方も多いだろう。
もちろん、箱根 彫刻の森美術館にも彼の作品は設置されている。
今回筆者はいくつかの井上武吉作品を見ることができた。
『my sky hole 84』
まず一つ目は 『my sky hole 84』(1984)という『my sky hole(マイ・スカイ・ホール)』シリーズのひとつである。

井上武吉『my sky hole 84』
photo©️Kyushima Nobuaki
解説パネルには以下のように書かれている
東京都美術館のものと異なり、空いている穴が長くなっている。
『my sky hole 79 天をのぞく穴』
そして二つ目は『my sky hole 79 天をのぞく穴』という作品である。
解説パネルには以下のように書かれている。
黒い四角い入り口から入って地下に下り、窮屈な椅子に座って上を見上げる。するとそこから穴を通じて空が見上げられるのである。
そして、また階段を上がって透明なガラスの出口から出てくる。

井上武吉『my sky hole 79 天をのぞく穴』
左の黒い箱が入り口、右のガラスの箱が出口
photo©️Kyushima Nobuaki

井上武吉『my sky hole 79 天をのぞく穴』
螺旋階段を下る
photo©️Kyushima Nobuaki

井上武吉『my sky hole 79 天をのぞく穴』
この椅子に座って上を見る
photo©️Kyushima Nobuaki

井上武吉『my sky hole 79 天をのぞく穴』
上を見上げた景色
photo©️Kyushima Nobuaki

井上武吉『my sky hole 79 天をのぞく穴』
螺旋階段を上がる
photo©️Kyushima Nobuaki
なかなか面白い作品であった。
『my sky hole 84 HAKONE』
そして三つ目が『my sky hole 84 HAKONE』である。

『my sky hole 84 HAKONE』
井上武吉
photo©️Kyushima Nobuaki
東京都美術館のものや『my sky hole 84』とことなり、鏡面球体が中空に吊り下げられている。
野外美術館の通路の上に設置されており、周囲や観覧者本人も映る仕掛けになっている。
『my sky hole 94-6 森のラビラント』
そして最後が『my sky hole 94-6 森のラビラント』である。
これは本館ギャラリーから見える中庭のようなところに設置されている。

井上武吉『my sky hole 94-6 森のラビラント』
photo©️Kyushima Nobuaki
これは鏡面球体の作品ではなく、花崗岩を使った円盤のようなものが4つに分かれた状態で設置され、まわりはもみの木に囲まれている。
井上武吉と1970年大阪万博「土曜広場」
このように、興味深い作品を制作した井上武吉であるが、この箱根 彫刻の森美術館が開館した翌年に行われた1970年大阪万博にも関与している。
1970年大阪万博では「曜日広場」という広場を7つ設置した。
もちろん、メインの広場は「お祭り広場」という巨大広場であったが、会場を右回りに回る順序で、7つの曜日広場が設置された。「日曜広場」〜「土曜広場」である。
別に「日曜広場」は日曜しか空いていない、とか日曜日に特別な催事がある、というわけではなく、ネーミングとしてわかりやすいようにそのような名前にしたらしい。
そして、各「曜日広場」には彫刻が設置されることになった。
7つの「曜日広場」に「水すましの池」を加え、合計大彫刻8点が設置されることになり、丹下健三をはじめとする6人の識者の意見を聞いて人選が行われた。
その結果、候補者20人の試作を経て、次の8人、8作が選出された。
制作費は1人につき1000万円であった。
伊原通夫 「PASSAGE」(月曜広場)
山口勝弘 「フレーム構造と光りの立体」(火曜広場)
榎本健規 「東西单北」(水曜広場)
福島敬恭 「BLUE」(木曜広場)
三木冨雄 「耳」(金曜広場)
井上武吉 「おさら」(土曜広場)
新宮 晋 「FLOATING SOUND-1969」(水すましの池)
さて、この「土曜広場」そして、井上武吉の「おさら」という作品は、会場内のどこにあって、どんな形状をしていたのだろうか。
「井上武吉」、「おさら」、「土曜広場」といったキーワードで検索しても出てこない。
そこで、1970年大阪万博の会場図を詳細にしらみつぶしに調べてみると、井上武吉が「おさら」を展示した「土曜広場」は、会場の北西部、ソ連館とベルギー館の前にあったことがわかった。
そこでもしやソ連館の写真に写り込んでいないかと思って、「1970年大阪万博、ソ連館」で画像検索すると、「これに違いない」、と思われる写真が出てきた。
この写真の右にはソ連館が見える。その左の目の前に白く広がっているのが多分「土曜広場」であろう。
そこには井上武吉的な真っ白な球体が見え、その前にはこれまた白いお皿状のオブジェがある。
その上にはいくつかの円柱が立っているように見える。
これが「土曜広場」と「おさら」だったに違いない。
やっとたどりついた「土曜広場」と「おさら」の発見に人知れず興奮を覚えた1日だった。
ちなみに「金曜広場」の作品として選ばれた三木冨雄 「耳」という作品のシリーズものもここ箱根 彫刻の森美術館に展示されているのである。

三木富雄『耳1、2、3』(1970-75)
photo©️Kyushima Nobuaki

