ミース・ファン・デル・ローエと1929~30年バルセロナ万博
<147>以降、モンジュイックの丘に残る、1929~30年バルセロナ万博の名残りをご紹介してきたが、このモンジュイックの丘には、万博後、一度取り壊されて、そしてのちに同じ場所に復元・再建された建物もある。
それは、バウハウス(1919~1933)に参加し、1930年から第3代校長も務めた高名なドイツ出身の建築家ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe, 1886~1969)が設計したドイツ館「バルセロナ・パビリオン」であった。
“Less is more”, “God is in the detail”
ミース・ファン・デル・ローエは、彼の「Less is more (より少ないことは、より豊かなこと)」や「God is in the detail (神は細部に宿る)」などの言葉でも有名である。
この記念館の売店では“less is more”とかかれたTシャツも販売していた。
彼は1930年から1933年の閉校までバウハウスの第3代校長として教鞭をとった。
ナチスによるバウハウス閉鎖のあと、1937年にドイツを去り、アメリカへと亡命する。
ミース・ファン・デル・ローエが設計した「バルセロナ・パビリオン」(ドイツ館)
この建物はドイツ館ではあるが、1929~30年バルセロナ万博で建てられたために「バルセロナ・パビリオン」と呼ばれている。
ドイツ館として建設されたが、一般向けの展示施設ではなく、スペイン国王アルフォンソ13世とヴィクトリア・エウヘニア、そしてドイツ政府関係者が主宰する公式レセプションを開催するために構想さたものである。
万博開会1週間後にはスペイン国王を迎えて、ここでセレモニーが行われた。
この、後世まで語り継がれるほどの評判を得た「バルセロナ・パビリオン」はミース・ファン・デル・ローエが設計したものであり、その中にはこのパビリオンのために彼自身がデザインした「バルセロナ・チェア」も置かれていた。
この「バルセロナ・パビリオン」本体も、その中に置かれていた「バルセロナ・チェア」もモダニズムの傑作とされている。
この椅子は多くの人が見たことのあるものだろう。

ミース・ファン・デル・ローエ記念館
「バルセロナ・チェア」
photo©️Kyushima Nobuaki
この「バルセロナ・パビリオン」は万博終了後、1930年に解体・撤去されたが、ミース生誕100周年の1986年に万博会場跡地の同じ場所に復元されているのである。
この度、この復元された「バルセロナ・パビリオン」(現:ミース・ファン・デル・ローエ記念館)を訪れてみた。

ミース・ファン・デル・ローエ記念館 外観
photo©️Kyushima Nobuaki

ミース・ファン・デル・ローエ記念館
photo©️Kyushima Nobuaki

ミース・ファン・デル・ローエ記念館
photo©️Kyushima Nobuaki

ミース・ファン・デル・ローエ記念館
photo©️Kyushima Nobuaki
直線的なデザイン、鉄とガラスで構成され、さまざまな種類の大理石の壁で覆われている。
壁と天井に覆われたいわゆる部屋の部分は小さく、外部には大きく四角い池も配されている。

ミース・ファン・デル・ローエ記念館
photo©️Kyushima Nobuaki
現在でも十分新しく斬新なデザインといえるだろう。
こういった、実験的な建築物をデザインできたのも「万博」という特殊な機会だったからこそであろう。