ナムジュン・パイク展
現在、東京・渋谷区のワタリウム美術館で
ナムジュン・パイク
じゅげむ展
が開催中である。
会期は2026年7月19日ー11月23日。
ナムジュン・パイク(Nam June Paik、白南準、1932-2006)は1932年、日本統治時代の現在の韓国・ソウルで生まれ、東京大学で美術を学び、その後ドイツ、そしてアメリカで活躍したアメリカ国籍のアーティストである。
いわゆるビデオ・アートを代表するアーティストである。
筆者も、1990年代、アート関連のプロジェクトを担当しており、何らかの機会をいただき、東京・千鳥ヶ淵にあったフェアモントホテルのカフェでナムジュン・パイク氏とお会いしたことがある。
世界で有名なアーティストであるにもかかわらず、大変気さくなお人柄で、大変親切な方だった。
日本語で近代アートの歴史など、いろいろなお話をお聞かせいただいたことを今でも覚えている。
もう、亡くなられて20年が経ったのか。
そんな思いだった。
この度の展覧会では、没後20年として、彼の代表的な作品が再現・網羅されており、大変見応えがあった。

ナムジュン・パイク展の展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki

ナムジュン・パイク展の展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki

ナムジュン・パイク展の展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki

ナムジュン・パイク展の展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki

ナムジュン・パイク展の展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki

ナムジュン・パイク展の展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki

ナムジュン・パイク展の展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki
やはり半世紀以上前からこのような作品群を手がけてきたというのはすごいことだと感じる。
当時の先端だったTV、ビデオ、モニター、衛生中継など先端テクノロジーをつかったアート作品は、筆者がパイク氏と会った90年代には全盛といってもよく、私も訪れた1993年ヴェネチア・ビエンナーレで、彼が参加したドイツ館で金獅子賞を受賞するなど世界的に注目されるアーティストだった。
ナムジュン・パイクと万博
さて、その同じ年に、ナムジュン・パイクが生まれた韓国で開催されたのが1993年テジョン(大田)万博である。
この万博はBIE(博覧会国際事務局)の特別博として韓国で初めて開催された万博である。
韓国はこのちょうど100年前、1893年シカゴ万博に初めて参加した。
フェリスの大観覧車が登場したことで有名な万博である。

大観覧車(フェリス・ホィール)
FerrisWheel
そしてその100周年ということで、1993年に特別博を開催することになった。
韓国は1987年にBIEに加盟した。
そしてその後の1990年12月12日のBIE総会で承認されたこの万博は、1988年ソウルオリンピックに続く韓国な大規模国際イベントだった。
1964年東京オリンピック、1970年大阪万博という日本の歩みを思わせる。
テーマは「発展のための新しい道への挑戦」。
会期は8月7日〜11月7日。
参加国数は141の国と国際機関。
入場者数は1401万人に上った。
この1993年テジョン万博のために制作されたのが、パイクの代表作ともされる
という作品だった。
この作品は万博の「再生造形館(Recycling Art Pavilion)」に展示された。
サイズは約 4.5 × 10.8 × 9.6 m。
ブラウン管テレビを348台使用した、ビデオ、電話、カメラ、ラジオ、蓄音機、魚槽などを組み合わせた巨大な立体作品だった。
この作品はその後、テジョン市立美術館に移設され、現在でもそのシンボル的な存在になっているという。


