<154> ピカソが通った「4匹の猫 (Els 4 Gats)」

1937 Paris
バルセロナの「4匹の猫」入り口 photo©️Kyushima Nobuaki

ピカソが通った「4匹の猫  (Els 4 Gats)」

<153>でご紹介したパブロ・ピカソと万博。

そのパブロ・ピカソ(1881-1973)がバルセロナで通っていたのが「4匹の猫 (Els 4 Gats、アルス・クアトラ・ガッツ)」というカフェであった。

このカフェは1897年に開店した。

画家のラモン・カザス、サンティアゴ・ルシニョール、ミケル・ウトリーリョ、ペラ・ルメウの4人がこの店をオープンした中心人物である。

この4人はパリ在住時のモンマルトルにあった有名なキャバレー「ル・シャ・ノワール(Le Chat Noir、 黒猫)」に通っており、その店主であったロドルフ・サリスへのオマージュとして店名が名付けられたともいわれている。

「4匹の猫」店内の様子
右端には「ル・シャ・ノワール(Le Chat Noir、 黒猫)」のポスターが飾られている
photo©️Kyushima Nobuaki

バルセロナ画壇の大御所ラモン・カザス

オープンに携わった1人、ラモン・カザス(1866-1932)は当時のバルセロナ画壇の大御所であり、ここの開業資金を提供した。

彼はまた、雑誌『4匹の猫』も発行した。

このラモン・カザスの有名な作品が、パイプをくわえた画家本人が、「4匹の猫」設立者の1人ペラ・ルメウとタンデム自転車にまたがっている姿を描いた自画像である。

この作品は現在はカタルーニャ美術館が所蔵しているが、この「4匹の猫」店内にもその模写が飾られている。

店内のラモン・カザスのタンデムの自画像の模写
photo©️Kyushima Nobuaki

ラモン・カザスのタンデムの自画像のポスター
photo©️Kyushima Nobuaki

また、この図案はコーヒーカップなどにも現在も使用され、この店を代表するビジュアルになっているようである。

「4匹の猫」のエスプレッソのカップ
ラモン・カザスのタンデムの自画像があしらわれている。
photo©️Kyushima Nobuaki

この場所はモデルニスモ運動の中心地となっていた。

ピカソもここで個展を開いている。

バルセロナ出身の彫刻家のフリオ・ゴンサレスと1937年パリ万博

バルセロナ出身の彫刻家のフリオ・ゴンサレス(1876-1942)もバルセロナ時代には「4匹の猫」に通った。

このフリオ・ゴンザレスも万博に作品を出展した画家である。

時は1937年。
この年に開催されたパリ万博のスペイン共和国館はパブロ・ピカソの『ゲルニカ』ジュアン・ミロ『刈り入れ人』アレクサンダー・カルダー『水銀の泉』が展示されたことで有名である。
しかし、そこにフリオ・ゴンザレスの『La Monserrat』『ゲルニカ』の隣に展示されていたのであった。

「La Monserrat (ラ・モンセラート)」という言葉はモンセラート山、モンセラート修道院、モンセラートの聖母、といった意味があるが、この作品では、単に地名や聖母の名前を指すのではなく、スペイン内戦下の苦境にある民衆の象徴としての女性像であるといわれる。

その意味ではピカソの『ゲルニカ』、ミロの『刈り入れ人』と同じテーマの作品だったといってよいだろう。

「4匹の猫 (Els 4 Gats)」のその後と現在

その後この店は財政難のため1903年に閉店することになる。

しかしその後、ピカソ生誕100年にあたる1981年に同じ建物の同じ場所に同名のレストラン「4匹の猫 (Els 4 Gats)」が開店し、現在も営業しているのである。

今回、ここを訪れてみた。
バルセロナらしい狭い古い路地を歩いていくと、この店にたどり着く。

バルセロナの「4匹の猫」の付近の様子
photo©️Kyushima Nobuaki

バルセロナの「4匹の猫」入り口付近の様子
photo©️Kyushima Nobuaki

「4匹の猫 (Els 4 Gats)」の標識
photo©️Kyushima Nobuaki

バルセロナの「4匹の猫」入り口
photo©️Kyushima Nobuaki

入り口を入ったあたりがカフェ、奥がレストランになっている。

「4匹の猫」店内の様子
photo©️Kyushima Nobuaki

現在の「4匹の猫」のメニュー
photo©️Kyushima Nobuaki

このカフェには、<153>でもご紹介したピカソの親友だったカルロス・カサヘマスも通っており、2人はこの店で出会ったのである。

パブロ・ピカソ『カルロス・カサヘマス(カサゲマス)』(バルセロナ・ピカソ美術館)
photo©️Kyushima Nobuaki

<153>でご紹介したピカソ美術館にはピカソによるこの店のメニューも展示されていた。

パブロ・ピカソ『ボーア人風の風刺画「ペラ・ルメウ」とその他のスケッチ(クアトラ・ガッツのメニュー)』
バルセロナ、1899-1900年、印刷紙に鉛筆画
(バルセロナ・ピカソ美術館)
photo©️Kyushima Nobuaki

ピカソにとっては思い入れの強い場所だったのであろう。

今でもピカソやカサヘマスゆかりの絵画、写真、資料が多数飾られており、当時の彼らの様子が思い起こされるのである。

 

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