いよいよパリ編
さて、いよいよここからパリ編である。
パリといえば言わずと知れた「万博都市」である。
万博関係の建物や作品が満載である。
このブログのご紹介上はロンドン→バルセロナ→パリという順番になったが、実際の旅程は
東京→パリ→バルセロナ→パリ→ロンドン→東京
という順番であった。
それぞれの都市にはいろいろな万博関連の名残があり、全部で1ヶ月くらい滞在したいところではあったが、実際にはもろもろの理由で約2週間の旅程となった。
『ゲルニカ』が描かれたアトリエ
さて、<152>以降、ピカソについてもいろいろとご紹介してきたが、今回ご紹介するのは、パリの
という住所である。

ピカソが『ゲルニカ』を描いたアトリエ
7 Rue des Grands Augustins
photo©️Kyushima Nobuaki
ここは、パブロ・ピカソ(1881 – 1973)が1936年から1955年まで住んでいた場所であった。
さらに、1937年パリ万博のスペイン共和国館に展示されたあの『ゲルニカ』が描かれた場所でもある。
この場所に設置されている銘文には次のようにある。
VECUT DANS CET IMMEUBLE DE 1936 A 1955 TC’EST DANS CET ATELIER QU’IL PEIGNIT
“GUERNICA” EN 1957
C’EST ICI ÉGALEMENT QUE BALZAC
SITUE L’ACTION DE SA NOUVELLE
“LE CHEF D’OFUVRE INCONNUS
訳すと次のような内容である。
1937年、彼はこのアトリエで「ゲルニカ」を描いた。
バルザックはここで短編小説「知られざる傑作」の舞台を設定した。
ここに書いてあるように、この場所はフランスの作家オノレ・ド・バルザック(1799-1850)の1831年の短編小説『知られざる傑作(Le Chef-d’œuvre inconnu)』の舞台としても知られている。
この物語の中で老画家のアトリエが「グラン・オーギュスタン通りの家」として描かれている。
ピカソはこの作品を高く評価しており、それがこの場所に自身のアトリエを構えるきっかけの一つになったともいわれている。

ピカソが『ゲルニカ』を描いたアトリエに掲げられた標識と銘文
photo©️Kyushima Nobuaki

ピカソが『ゲルニカ』を描いたアトリエに掲げられた銘文(拡大)
photo©️Kyushima Nobuaki
7 RUE DES GRANDS AUGUSTINSの現在と今後
さて、この場所であるが、現在は工事中のようである。
正面のパネルには次のようにある。
工事現場には立ち入らないでください
個人邸宅の改修
ここはどのように改修されるのだろうか?
ピカソのアトリエは保存されるのか、それとも全く別の建物になってしまうのか。
ここに(写真参照)表記のあるECPという会社等について調べてみた。
この会社はECP(Entreprise de Rénovation intérieure)という会社でリノベーション等を手掛ける会社らしい。
その他の情報も含めて調べてみるが、この場所には非営利の団体や、建物のオーナーなど多くの人が関与しており、また、「ピカソのアトリエ」を保存したいという考え、リノベーションして新たなテナントを得たいという考え等いろいろな方向性の中で、なかなか決定的な情報には辿りつかない。
しかし、現時点では、次のような状況ではないかと思われる。
ただし、具体的な開館時期や詳細な用途はまだ正式発表されていない。
建物全体の修復・保存と、ピカソの歴史的アトリエの一般公開が今後の大きな方向性となっている。
(Bonjour Paris:Streets and Stories: Rue des Grands Augustins on the Left Bank in Paris)
*
万博史的にも大きなトピックの『ゲルニカ』。その『ゲルニカ』が描かれた記念すべきこの場所、ピカソのアトリエを修復・保存し続けてほしいというのは筆者だけの思いではないであろう。

ピカソが『ゲルニカ』を描いたアトリエの周辺の街並み
Rue des Grands Augustins
photo©️Kyushima Nobuaki

ピカソが『ゲルニカ』を描いたアトリエの周辺の街並み
Rue des Grands Augustins
photo©️Kyushima Nobuaki