パリ・リヨン駅と1900年パリ万博
リヨン駅(Gare de Lyon)は、パリにある6つの主要ターミナル駅の一つであり、パリ中心部から南東より、12区のセーヌ川右岸に位置している。
この駅からはフランス南東方面(リヨン、マルセイユ、アヴィニョン、ニースなど)、また国外ではイタリア(ミラノ)、スイス(ジュネーブなど)などへの列車が発着している。
この現在のリヨン駅であるが、じつは1900年パリ万博を契機に大規模改築されたものであった。
1900年パリ万博を契機に建てられたものとしては、オルセー駅(現在のオルセー美術館)、アレクサンドル3世橋、グラン・パレ、プティ・パレなどがある。
このあたりについては<158>話、<159>話でもご紹介した。
今回ご紹介するリヨン駅も1900年パリ万博を契機に建てられた(改築された)ものの一つなのである。
リヨン駅の歴史
さて、じつは今建っているリヨン駅は最初のものというわけではなかった。
最初のリヨン駅は1849年8月12日、パリ・リヨン鉄道の起点駅として開業したものだが、この当初の駅は現在の場所とは少し異なるバスティーユ広場近くに位置していた。
現在のリヨン駅の場所にできた2代目の駅は1855年に建設され、開業した。この駅は盛土の上に建てられ、大型の屋根を備えた構造だった。
この1855年というのは第1回目のパリ万博が開催された年だが、この駅と万博は直接は関係していない模様である。
この2代目リヨン駅は万博会場とは直接連動して作られたわけではなく、南東方面への鉄道拠点として整備された駅、という位置付けだった。
1900年パリ万博を契機に大改築
そして、その後1900年パリ万博に向けて大改築が行われ、現在の3代目駅舎が建設され、これは1901年に落成式が行われた。
まず、1900年パリ万博にあわせてより多くの来場者に対応するため、建築家マリウス・トゥードワールによる設計で新しい駅舎が建設された。
また、現在駅のシンボルとなっている高さ67mという巨大な時計塔も、この大改築の際に完成したものである。

パリのリヨン駅。大時計塔がシンボル。
photo©️Kyushima Nobuaki
さらにこの1900年パリ万博は「電気」をテーマの一つとしており、駅にも多く電気が使用され、近代化が進められた。
リヨン駅完成は1900年パリ万博に間に合ったのか?
先に、1901年に落成式が行われた、と書いたが、そうするとリヨン駅の完成は1900年パリ万博に間に合わなかったのだろうか?
1900年パリ万博は1900年4月15日〜11月12日に開催された。
じつは万博開会の時点ですでに新しいリヨン駅は一部が完成しており、万博の来場客を迎えるために駅としての機能は果たしていた。

「Le Train Bleu」入り口から見たパリのリヨン駅内部
photo©️Kyushima Nobuaki
また、1900年7月19日にはリヨン駅を通る地下鉄1号線が開通した。
地下鉄1号線の開通当初の区間はポルト・マイヨ駅(Porte Maillot)とポルト・ド・ヴァンセンヌ駅(Porte de Vincennes)の間で、リヨン駅もそのルート上に含まれていた。
そして、 駅のシンボルである高さ67mの大時計台や内装工事など、最終的な建設工事は万博後まで続き、正式な落成式は1901年4月6日にとり行われた、ということである。
完全に工事が終了したのは1902年とされている。
ということで、駅舎としての完全な工事終了は万博後ではあったが、1900年パリ万博のための駅舎としての役割はちゃんと果たしていた、ということになろう。
リヨン駅構内にあるレストラン「ル・トラン・ブルー」
今回、リヨン駅構内にあるレストラン「ル・トラン・ブルー」で食事をしてみた。

パリのリヨン駅
店先の「Le Train Bleu」バーラウンジのメニュー(右)とレストランのメニュー
photo©️Kyushima Nobuaki

「Le Train Bleu」レストランメニュー
photo©️Kyushima Nobuaki
なかなかの人気で予約を取るのが難しく、いろいろと手を回してやっとランチの予約がとれた。
やはり、内装はすごい。
壮麗、豪華絢爛といってよい。
まさに、19世紀末の華やかな時代を象徴しているぜいたくな空間である。

「Le Train Bleu」天井の豪華な絵画
photo©️Kyushima Nobuaki

「Le Train Bleu」店内の豪華な装飾
photo©️Kyushima Nobuaki

「Le Train Bleu」店内の豪華な装飾
photo©️Kyushima Nobuaki
じつは、この「ル・トラン・ブルー」も1900年パリ万博の施設の一つとして設立されたものであった。
設計も、リヨン駅の建築家、マリウス・トゥードワールが担当しており、駅と一体的なデザインになっている。

「Le Train Bleu」入り口
photo©️Kyushima Nobuaki

リヨン駅構内から見た「Le Train Bleu」入り口付近の様子。駅のデザインと一体化している。
photo©️Kyushima Nobuaki
このレストランはもともとは、1900年パリ万博の多くの来場者を迎えるために駅のビュッフェとしてオープンした。
当時は、リヨン駅発着の南フランスへの豪華列車「青列車(Le Train Bleu=ル・トラン・ブルー)」の乗客たちが優雅に過ごせる「駅の食堂」としての機能を持っており、また、万博の来訪者に対して駅の待ち時間を優雅に過ごしてもらう目的もあったのである。
当初は「ビュッフェ・ドゥ・ラ・ガール・ド・リヨン」(リヨン駅のビュッフェ)という名称であった。
41枚ものフレスコ画(壁画や天井画)や、金の彫刻、豪華なシャンデリアなど、当時のフランスを代表する芸術家たちが手がけた装飾は、それ自体が美術品であり、万博の芸術的な側面を補完する役割を果たしたものであった。
そしてこのレストランは、1963年には、「青列車(Le Train Bleu)」にちなんで現在の名前に改称された。

「Le Train Bleu」テーブルウェア
photo©️Kyushima Nobuaki
世の中には豪華なレストランは多いが、この「ル・トラン・ブルー」のような100年以上前に、しかも万博のためにつくられたという豪華なレストランで食事をする体験は、まさにタイムスリップしたようでたいへん貴重なものであった。