<216>山種美術館で開催中の「川合玉堂展」

1895第4回内国勧業博覧会
山種美術館開館60周年記念特別展サイン photo©️Kyushima Nobuaki

山種美術館の開館60周年記念特別展1

現在、東京・渋谷の山種美術館

【開館60周年記念特別展1】
川合玉堂
―なつかしい日本の情景―

という展覧会が開催中である。

会期は2026.5.16(土)—2026.7.26(日)。

ホームーページによると、山種美術館創立者の山﨑種二(1893-1983)は、生前、川合玉堂(1873–1957)と親交を深め、結果、山種美術館では、川合玉堂作品を71点所蔵しているという。

山種美術館入り口付近
photo©️Kyushima Nobuaki

山種美術館開館60周年記念特別展サイン
photo©️Kyushima Nobuaki

玉堂については、下記のように説明がある。

玉堂は、円山・四条派の基礎の上に狩野派の様式を取り入れ、伝統的な山水画から近代的な風景画へと新たな境地を拓きました。また、東京画壇における中心的な役割を果たし、1940(昭和15)年には文化勲章を受章しています。
日本の山河をこよなく愛した玉堂は、四季の自然や田園風景とそこに暮らす人々を情感豊かに描きました。玉堂による古き良き日本の原風景ともいうべき世界は、見る者の郷愁を誘い、日本の自然の素晴らしさを改めて気づかせてくれます。
本展では、初期の代表作である《鵜飼》など明治期の作品から、琳派研究を通じて誕生した大正期の《紅白梅》(玉堂美術館) 、古典的な筆法と写実的な風景表現を融合させた昭和初期の《石楠花》、自然とともに生きる人々の姿を穏やかに描き出した玉堂芸術の真骨頂ともいえる《春風春水》や《早乙女》、戦後の第1回日展に出品された《朝晴》まで、名作の数々とともに、玉堂の画家としての足跡をたどります。

今回の展覧会では、『早乙女』『鵜飼』など懐かしい日本の情景や風景を描いた作品、水墨画のような作品から、琳派のような作品、現代のスケートを題材にした『氷上(スケート)』までいろいろなテーストの作品を鑑賞することができる。

川合玉堂『早乙女』(1945年)のパネル
photo©️Kyushima Nobuaki

第4回内国勧業博覧会で3等賞(銅牌)を受賞した『鵜飼』(1895年)

筆者が注目したのは、その中の『鵜飼』(1895年)という作品である。
同じタイトルの作品はいくつかあるが、この1895年版に注目するのは、この作品が第4回内国勧業博覧会で3等賞(銅牌)を受賞した作品だからである。

この第4回内国勧業博覧会は、京都建都1100年の記念事業として、

1895年(明治28年)4月1日-7月31日

に開催された。

会場は京都市岡崎公園で、入場者数は1,136,695人であった。

美術部門では、フランスから帰国した黒田清輝『朝妝(ちょうしょう)』が、「公の場で裸体を見せるのは風俗を乱す」として大論争を引き起こした。
結果的に絵画の一部を布で隠す措置がとられたという。

そんな博覧会で、川合玉堂は『鵜飼』(1895年)を出展したのである。

残念ながら、今回の展覧会場内は原則撮影禁止で、1点のみ撮影可であり、『鵜飼』は撮影できなかった。

愛知に生まれ岐阜で育った玉堂は、この年、故郷、長良川の夏の風物詩である「鵜飼」をテーマにした作品を発表し、以来、晩年に至るまでこの「鵜飼」は彼の主要な画題となったのである。

比較的大きい画面の下の方に鵜飼の様子が描かれている。
上部の方は雪舟の水墨画を思わせる厳しい山の様子が描かれている。

ちなみに、撮影できた1点は『紅白梅』という1919(大正 8)年頃、46歲頃の作品であった。
この玉堂美術館所蔵作品は『鵜飼』とは異なり、琳派の影響を受けた作品となっている。

川合玉堂『紅白梅』(1919年頃)
photo©️Kyushima Nobuaki

川合玉堂『紅白梅』(1919年頃)
photo©️Kyushima Nobuaki

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