初めての山陰への旅
9月下旬に、ふと思い立って、まだ行ったことのない県を訪ねる旅行に出かけた。
今回は島根県と鳥取県だ。
鳥取県では、1997年7月12日~9月28日に境港市でジャパンエキスポ鳥取97「山陰・夢みなと博覧会」が開催され、約193万人を集めたが、筆者は残念ながら行く機会がなかった。
まず羽田空港から萩・石見空港へ。その後、益田駅へ移動し、特急「スーパーまつかぜ」の指定席を確保した。
「スーパーまつかぜ」というとすごい列車のようだが、筆者が乗ったのは2両編成。
1号車が指定席、2号車が自由席という、コンパクトな列車だった。
発車までの間に島根県立石見美術館を訪ね、その後、益田駅から出雲市駅へ。
そこから出雲大社に参拝し、その日のうちに特急「やくも」で松江へ向かった。
松江には3泊した。
2日目は日帰りで鳥取砂丘まで足を伸ばす。そして夕方、夕日を見がてら島根県立美術館へ。
3日目は安来駅から足立美術館へ行き、その後は小泉八雲記念館などを視察した。
4日目は朝から空港バスで米子空港へ行き、羽田空港へ戻った。
米子空港へ向かう途中、有名な「江島大橋(ベタ踏み坂)」を実際に通ってみるという面白い体験もできた。
この旅で発見した万博に関するエピソードを、今後、何話かに分けてご紹介していきたい。
さて、その第1回は、島根県立美術館「アメリカのデザイン」展である。
島根県立美術館「アメリカのデザイン」へ
島根県松江市の島根県立美術館を訪ねた。
しじみで有名な宍道湖(しんじこ)のほとりにあり、夕日鑑賞スポットとしても知られている。
なかなか近代的な美術館である。

島根県立美術館
photo©️Kyushima Nobuaki

島根県立美術館
photo©️Kyushima Nobuaki

島根県立美術館エントランス付近
photo©️Kyushima Nobuaki

島根県立美術館からみた宍道湖の夕日
photo©️Kyushima Nobuaki
建築の設計者は菊竹清訓(1928–2011)。
1970年大阪万博の「エキスポタワー」や、1975年沖縄海洋博の「アクアポリス」など、万博に関わる建築も手がけた人物である。
さて、現在、菊竹の手がけた島根県立美術館では、小企画展「アメリカのデザイン 1930年代のグラフィック」が開催されている。
会期は2026年9月17日から10月26日まで。
コレクション展示室5での展示である。

「アメリカのデザイン」展パネル
photo©️Kyushima Nobuaki
第二次世界大戦前のアメリカで発達したグラフィック・デザインを、ポスターや雑誌を通して紹介するものだ。
ここに、万博のポスターがまとまって展示されている。
1933/34年シカゴ万博、そして1939/40年ニューヨーク万博。
万博好きとしては、これは見逃せない。
このほか、1935/36年にサンディエゴで開催されたカリフォルニア太平洋博覧会を宣伝する、1935年制作のポスター「America’s Exposition」もある。
さらに、1940~50年代のハワイへの観光誘致ポスターなども展示されており、当時のアメリカの広告表現に興味は尽きない。
シカゴ万博からニューヨーク万博へ
まず目に入るのが、シカゴ万博のポスターである。
シカゴでは1893年にも万博が開催されている。
世界初の大観覧車「フェリス・ホイール」や動く歩道が登場し、日本からもさまざまな美術品などが展示された万博である。
20世紀に入ると、再度万博が1933年と1934年の2シーズンにわたって開催された。

ワイマー・パーセル《シカゴ万博「進歩の一世紀」》1933年
画像:Wikimedia Commons/米国議会図書館
画像修復:trialsanderrors
Public Domain(米国)

ワイマー・パーセル《シカゴ万博「進歩の一世紀」》1933年
島根県立美術館蔵
photo©️Kyushima Nobuaki
このポスターを見ると、「A CENTURY OF PROGRESS」という文字とともに、建物や乗り物が鮮やかな色彩で描かれている。
「進歩の一世紀」を掲げた万博らしく、画面には近代都市の勢いがあふれている。
なかでも、1934年の「スカイ・ライド」のポスターが面白い。

A・レイモンド・カッツ《スカイ・ライド》1934年
島根県立美術館蔵
photo©️Kyushima Nobuaki
高い塔と、その間に渡されたケーブル。大きく斜めに配された文字も、見る者の視線を上へと引っ張っていく。
スカイ・ライドといえば、1985年つくば科学博で、日本ケーブルが建設・営業に参加した8人乗りゴンドラも「スカイライド」という名前だった。
当時、入社してまだ間もなかった筆者は、そのプロジェクトの担当をさせていただいたことを思い出す。
さて、ポスターは、開催日時や場所を知らせる広告である。
しかし、それだけではない。
「そこへ行けば、何かすごいものや未来のものを見ることができる」。
そんな期待まで、一枚の紙に込められているのである。
少なくとも、これらのポスターの中では、未来はまぶしいほどに輝いている。
1939年の万博を、1937年に宣伝する
続いて、1939/40年ニューヨーク万博のポスターが並ぶ。
ここで、ちょっと気になる作品がある。
ネムバード・N・キューリンの《1939年には—ニューヨーク万博》である。

ネムバード・N・キューリン《1939年には—ニューヨーク万博》1937年
島根県立美術館蔵
photo©️Kyushima Nobuaki
画面には大きく「1939」と書かれているが、制作年は1937年。
開幕の2年前から、来るべき万博を宣伝していたわけだ。
描かれているのは、巨大な尖塔と球体である。
これが、1939/40年ニューヨーク万博の象徴となった「トライロン」と「ペリスフィア」だ。

ペリスフィア(左)とトライロン
Perisphere (left) and Triyon
この万博は、クイーンズ区のフラッシング・メドウズで開かれた。
開幕日は1939年4月30日。
ジョージ・ワシントンがニューヨークで初代大統領に就任してから、ちょうど150年にあたる日であった。
しかし、この万博が人々に見せようとしたのは、過去の歴史だけではない。
掲げたのは「The World of Tomorrow」。
この万博で「明日の世界」を見ることができる、という呼びかけであった。
尖塔と球体が伝える「明日の世界」
細く高く伸びるトライロンと、丸いペリスフィア。
この二つは、形が実にわかりやすい。
遠くから見ても、ポスターの中に小さく描かれていても、この万博だとわかる。
複数のポスターを見比べると、象徴となる建築が宣伝にも大きな役割を果たしていたことが伝わってくる。
ちなみに、ペリスフィアは、ただの巨大な球形のモニュメントではなかった。
内部では「デモクラシティ」という未来都市の模型展示が展開されていたのである。
ポスターに描かれた未来的な姿と、その中で見せる未来の暮らし。
建築と展示と広告が、一つの世界観でつながっていたわけだ。
なお、同じ場所で開催された1964/65年ニューヨーク万博の象徴は、今も残る巨大な地球儀「ユニスフィア」である。

『ロケット・スローワー』と「ユニスフィア」
“Rocket Thrower” and “Unisphere”
©️Kyushima Nobuaki
今回のポスターの球体は、それより前の万博のペリスフィア。
1964/65年の「ユニスフィア」については、
で、現地視察の様子も含めて詳しくご紹介した。
同じ万博でも、描き方はさまざま
今回の展示では、同じニューヨーク万博を宣伝するポスターを、複数の作者で見比べられる。
ジョン・アサートンの作品では、地球を抱える女神のような女性と、その上に配された尖塔と球体が印象的だ。
赤褐色の背景に、青い地球と白い建築が浮かび上がる。

ジョン・アサートン《ニューヨーク万博1939》1939年
島根県立美術館蔵
photo©️Kyushima Nobuaki
アルバート・ステイルの作品では、手を上げる人物が大きく描かれている。

アルバート・ステイル《ニューヨーク万博1939》1939年
島根県立美術館蔵
photo©️Kyushima Nobuaki
建築を主役にしたポスターとは、ずいぶん雰囲気が違う。
逆光を思わせる人物の描き方と、その後ろに広がる輝かしい世界。
その描き方に、筆者はロートレックのポスターを連想した。
こちらは「さあ、万博へ」と誘われているような、親しみやすい印象を受ける。
ちなみにステイルは、後にアメリカの森林火災予防キャラクター「スモーキー・ベア」の最初のポスターを手がけた人物でもある。
そして、ヨーゼフ・ビンダーの《ニューヨーク万博—明日の世界》。

ヨーゼフ・ビンダー
《ニューヨーク万博—明日の世界》
画像出典:Wikimedia Commons/Christie’s
Public Domain in the United States(掲載元の表記)
暗い青を背景に、尖塔と球体が光を放つように描かれ、探照灯が空を横切る。飛行機、船、列車も組み込まれている。
世界各地から、この場所へ。
そんな交通の動きと、未来への期待が一つの画面にまとめられているように見える。
同じ尖塔と球体を使っても、作者によってこれほど表情が変わるのである。
ちなみに、このポスターについては、上記のシカゴ万博のポスターとともに、
でもご紹介しているので、ご興味のある方はご覧いただきたい。
1940年、「平和と自由のために」
展示は、翌1940年のポスターへと続く。

作者不詳《平和と自由のために—ニューヨーク万博1940》1940年
島根県立美術館蔵
photo©️Kyushima Nobuaki
ここで、言葉の変化に目が留まる。
このポスターの左上には「FOR PEACE AND FREEDOM」と書かれている。
「平和と自由のために」である。
各国の旗が大きく描かれ、その下を人々が歩いている。
1939年に開幕したニューヨーク万博は、翌1940年にも開催された。
しかし、その間に世界の状況は大きく変わっていた。
1939年9月、ヨーロッパでは第二次世界大戦が始まったのである。
「明日の世界」で未来への期待を伝えるポスターに続いて、「平和と自由」を呼びかけるポスターを見る。
並んだ作品の間に、時代の変化が入り込んでいるように感じられる。
「あらゆる手段で万博へ」
その隣には、がらりと雰囲気の異なる、アニメの一場面のようなポスターがある。
スタンリー・エクマンの《あらゆる手段で行こう—ニューヨーク万博1940》だ。

スタンリー・エクマン
《あらゆる手段で行こう—ニューヨーク万博1940》1940年
島根県立美術館蔵
photo©️Kyushima Nobuaki
大きな前輪の自転車に乗る父親、ローラースケートの母親、キックボードの少女。
乳母車の赤ちゃんまで加わって、一家そろって万博へ向かっている。
「GO by all means」。
「ぜひとも行こう」という呼びかけだが、meansには「手段」という意味もある。
自転車やローラースケートなどで向かう一家の姿に重ねると、「あらゆる手段で行こう」とも読める。
言葉と絵を組み合わせた、なかなか洒落たポスターである。
下には「ADMISSION FIFTY CENTS」。
入場料は50セント、と大きく記されている。
未来都市や世界平和、という大きなテーマもあれば、家族で楽しむ行楽の場という顔もある。
万博というものは、昔からその両方を持っていたのだろう。
ポスターに残された「未来」
万博は、会期が終わると多くの建物が取り壊される。
しかし、人々を会場へと誘ったポスターは、こうして残っている。

「アメリカのデザイン 1930年代のグラフィック」展・展示風景 右からスタンリー・エクマン《あらゆる手段で行こう—ニューヨーク万博1940》1940年、作者不詳
《平和と自由のために—ニューヨーク万博1940》1940年、ヨーゼフ・ビンダー《ニューヨーク万博—明日の世界》1939年、アルバート・ステイル《ニューヨーク万博1939》1939年
photo©️Kyushima Nobuaki
そこに描かれているのは、建物や乗り物だけではない。
当時の人々が期待した未来や、万博に託した願いでもある。
1939年の「明日の世界」。
そして、1940年の「平和と自由のために」。
島根の美術館でポスターを眺めながら、ニューヨークの万博と、その時代へと思いをめぐらせることになった。

