<252>ウィリアム・モリスと万博 ー島根県立美術館「アーツ・アンド・クラフツとデザイン展」へ

1851 London Expo
島根県立美術館「アーツ・アンド・クラフツとデザイン ウィリアム・モリスからフランク・ロイド・ライトまで」のサイン。 Photo © Kyushima Nobuaki

島根県立美術館でもうひとつの展覧会へ

島根視察のつづきである。

<250><251>でご紹介した葛飾北斎や、<248>でご紹介した「アメリカのデザイン」展に続いて、島根県立美術館で開催中の

という展覧会についてご紹介したい。

会期は2026年9月11日から11月3日まで。

ウィリアム・モリスの植物文様は、壁紙や布地はもちろん、最近ではさまざまな日用品でも見かける。名前は知らなくても、模様には見覚えがある、という方も多いのではないだろうか。

会場の案内パネルにも、大きな花や葉、絡み合う茎を組み合わせた文様が使われている。
緑を基調とした画面に小さな青い花が散りばめられ、展覧会に入る前から目を引く。

島根県立美術館「アーツ・アンド・クラフツとデザイン ウィリアム・モリスからフランク・ロイド・ライトまで」のサイン。
Photo © Kyushima Nobuaki

文様に囲まれる

ウィリアム・モリス(1834–1896)は、デザイナーであるとともに、詩人、思想家、出版人としても活動した人物である。

産業革命後のイギリスで、安価な製品が大量に作られる一方、その質や、製品を生み出す労働のあり方に疑問を抱き、手仕事の価値と暮らしの中の美を追求した。
後のアーツ・アンド・クラフツ運動に大きな影響を与えた人物として知られている。

今回の展示では、そうしたデザインを、文様が広がる空間としても見ることができる。

壁面いっぱいに繰り返される鳥や草花。別の一角では、色や大きさの異なる植物文様が三方を囲んでいる。

ひとつひとつの花や葉を眺めるのと、少し離れて全体を見るのとでは、印象が変わる。
細かな形が連なって、壁面にひとつのリズムを生み出している。

額に入った絵を鑑賞する場合とは、また違う面白さがある。

モリスのデザインが、暮らしの空間に置かれることを前提としていることも、こうした展示を見ると実感しやすい。

島根県立美術館「アーツ・アンド・クラフツとデザイン」展 会場風景
Photo © Kyushima Nobuaki

島根県立美術館「アーツ・アンド・クラフツとデザイン」展 会場風景
色や形の異なる植物文様に囲まれる展示空間。
Photo © Kyushima Nobuaki

モリスの商会と、ラファエル前派のロセッティ

1861年、モリスは画家のエドワード・バーン=ジョーンズやダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、建築家のフィリップ・ウェッブらとともに、モリス・マーシャル・フォークナー商会を設立した。
後のモリス商会につながる会社である。

ロセッティ(1828–1882)は、ラファエル前派の創設メンバーとして知られる、あの画家である。

初期の代表作《受胎告知》では、白を基調とした簡素な室内で、天使の告知を受けるマリアを描いている。

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ《受胎告知(エッケ・アンキラ・ドミニ)》(1850年)
テート蔵
ラファエル前派の創設メンバー、ロセッティの初期の代表作。モリスの商会ではステンドグラスの図案も手がけた。
画像:Wikimedia Commons(Public Domain)

ロセッティは<247>のティソの回にも登場した。

1864年、パリのデゾワ夫妻が営む日本美術工芸品店を訪れたところ、日本の衣装はティソがすっかり買い集めてしまっていた、と母親への手紙に記した人物である。

そのロセッティが、今度はモリスの商会の創設メンバーとして登場する。

商会においては、主にステンドグラスの図案などを手がけていた。
単に名前を連ねていたのではなく、自らのデザインを工芸の世界へ広げていたのである。

なお、1875年にはモリスが他の共同経営者の持分を買い取り、単独経営の「モリス商会」へと再編している。
ロセッティの共同経営者としての関与も、このときまでとなる。

1862年ロンドン万博へ

さて、この商会にも、万博とのつながりがある。

設立の翌年、商会は1862年ロンドン万博に出品する。

ロンドンで世界初の万博が開かれたのは、クリスタル・パレス(水晶宮)で知られる1851年。
その11年後に開かれた、2度目のロンドン万博である。

会場はサウス・ケンジントン。
現在のロンドン自然史博物館が建つ場所に大きな展示施設が設けられ、約2万8,000の出品者が参加し、600万人を超える人々が訪れた。

産業機械や新しい技術に加え、絵画、彫刻、家具、染織なども紹介され、産業と美術の両方を見せる万博だった。

日本との関係でも重要な万博である。
初代駐日英国公使ラザフォード・オールコックが収集した日本の美術工芸品などが展示され、福澤諭吉らを含む幕府の遣欧使節団も会場を訪れている。

創業間もないモリスたちの商会にとって、この万博は自分たちの仕事を広く紹介する重要な機会となった。

万博に向けて制作された作品のひとつが、現在ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館(V&A)が所蔵する《聖ゲオルギウス伝キャビネット》である。

商会の共同経営者フィリップ・ウェッブ(1831–1915)が家具を設計し、モリスが聖ゲオルギウスの物語を描いた。
中世の物語と家具とが一体になった作品で、今日よく知られる植物文様とは異なる、モリスの初期の仕事を見ることができる。

また、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)の解説によれば、妻ジェイン・モリス(1839–1914)が刺繍した布作品も、この1862年ロンドン万博で商会の受賞につながったという。

1862年ロンドン万博では、賞牌(Prize Medal)と選外佳作(Honourable Mention)の二つの賞の区分が設けられていたが、商会は家具・室内装飾品とステンドグラスの両部門で賞牌(Prize Medal)を受賞した。

モリスの仕事は、一人のデザイナーだけで完結するものではなかった。建築家や画家、刺繍の担い手たちが、それぞれの技術を持ち寄って作り上げる仕事でもあったのである。

ロセッティのステンドグラスも万博に

さらに調べてみると、ロセッティ自身がデザインしたステンドグラスも、この1862年ロンドン万博に展示されていたことがわかった。

《ぶどう園のたとえ話》を描いた7枚のパネルである。

ウィリアム・モリス・ギャラリーの解説によれば、ロセッティが1861年に図案を描き、モリス・マーシャル・フォークナー商会が制作した。

イングランド北部、スカーバラのセント・マーティン教会の東窓に使われるもので、教会への設置に先立ち、7枚すべてが1862年ロンドン万博に展示されたという。

ラファエル前派の画家たちの活動は、絵画にとどまらず、建築を彩る工芸にも広がっていた。
そして万博は、その仕事を人々に見せる場にもなっていたのである。

ティソの日本趣味を伝える手紙を書いたロセッティが、その2年前には、ロンドン万博に展示されたステンドグラスの図案を手がけていた。

別々の展覧会からたどってきた話が、ここでまたつながった。

バーン=ジョーンズはパリ万博にも

もう一人の創設メンバー、エドワード・バーン=ジョーンズ(1833–1898)にも、万博との深いつながりがある。

ロセッティの影響を受け、ラファエル前派の後続世代として活躍した画家である。
モリスとは長年にわたり協働し、絵画だけでなく、ステンドグラスや書物の挿絵なども手がけた。

そのバーン=ジョーンズは、1878年パリ万博に《マーリンの誘惑》を出品している。

さらに、エッフェル塔が建設された1889年パリ万博には、代表作《コフェテュア王と乞食の娘》を出品した。

貧しい娘に心を奪われた王を描いた作品である。
娘が高い位置に座り、その下にいる王が彼女を見上げる構図が印象的だ。

豪華な衣装や建築の装飾が細かく描き込まれている一方、人物たちの表情や動きは静かで、物語の時間が止まったようにも見える。

この作品のパリ万博への出品は、フランスでのバーン=ジョーンズの評価を高める重要な機会となった。

エドワード・バーン=ジョーンズ《コフェテュア王と乞食の娘》(1884年)テート蔵
貧しい娘に心を奪われた王を描く。1889年パリ万博に出品され、フランスでの画家の評価を高めた代表作。
画像:Wikimedia Commons(Public Domain)

モリスの仲間たちは、工芸作品を通じて万博に関わるだけでなく、絵画でも国際的な評価を得ていたのである。

万博からV&Aの「モリス・ルーム」へ

V&Aの解説によれば、1862年ロンドン万博を経て商会の仕事は人気を集め、室内装飾の注文が広がっていった。

やがて商会は、セント・ジェームズ宮殿や、当時のサウス・ケンジントン博物館、現在のV&Aの室内装飾を手がけることになる。

そもそも、この博物館自体が万博の遺産といってよい。

1851年ロンドン万博の余剰金は、サウス・ケンジントンに博物館や教育機関を集めるための土地購入に使われた。

現在のV&Aの前身となる博物館は1852年に創設され、1857年にその土地へ移転し、サウス・ケンジントン博物館として開館した。

万博を契機に生まれた博物館の食堂を、次のロンドン万博で評価を高めたモリスたちが飾ることになったのである。

ヴィクトリア&アルバート・ミュージアム
Victoria & Albert Museum
photo©️Kyushima Nobuaki

その仕事が、「グリーン・ダイニング・ルーム」、現在「モリス・ルーム」として知られる食堂である。

モリスに加え、ウェッブやバーン=ジョーンズらが関わり、壁や天井、ステンドグラスなどを組み合わせて、ひとつの空間を作り上げた。

万博に作品を出品し、その評価が新たな注文につながり、さらに美術館の空間として残っていく。

万博と美術館、そして暮らしのデザインが、ここで重なっている。

フランク・ロイド・ライトにも万博との接点が

今回の展覧会は、モリスからフランク・ロイド・ライトへと続くデザインの流れを紹介している。

フランク・ロイド・ライト(1867–1959)は、日本では帝国ホテル旧本館や、東京・池袋の自由学園明日館を設計した建築家として知られている。
アメリカでは、滝の上に建つ「落水荘」や、らせん状の展示空間を持つニューヨークのグッゲンハイム美術館などを手がけた。

フランク・ロイド・ライト設計のグッゲンハイム美術館(ニューヨーク)
photo©️Kyushima Nobuaki

そのライトにも、万博との接点がある。

1893年シカゴ万博である。

ライト財団は、ライトが日本の美術や文化に触れた初期の機会のひとつとして、この万博を挙げている。

なかでも、日本館「鳳凰殿」は重要な存在だった。
優れた工芸技術や均整の取れた建物、洗練された室内は、日本の建築と工芸を伝えるものだった。

1893年シカゴ万博「鳳凰殿」

北斎からモリス、そしてライトへ。

島根県立美術館で見た異なる展覧会が、日本美術やデザイン、万博を通じて思いがけずつながっていく。


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