<250>北斎と1867年パリ万博 ー『北斎漫画』14冊とその「値段」

1867 Paris
グラントワ外観 photo©️Kyushima Nobuaki

島根・石見美術館で北斎に出会う

<248>につづき、島根、鳥取視察の続編である。

今回の視察旅行では、島根県益田市の石見美術館を訪れた。

石見美術館(いわみびじゅつかん)が入る島根県芸術文化センター「グラントワ」は、建築家・内藤廣(1950~)の設計により、2005年に開館した施設である。

建物の最大の特徴は、屋根だけでなく外壁にも使われている約28万枚の石州瓦(せきしゅうがわら)だ。

グラントワ外観と北斎展サイン
photo©️Kyushima Nobuaki

グラントワ外観
photo©️Kyushima Nobuaki

グラントワ外観
photo©️Kyushima Nobuaki

石見地方の伝統的な赤褐色の瓦で建物全体を包み込んだ姿は、実に印象的である。
あまりみたことのない独特の色合いだ。
訪れた日は快晴で、この瓦の色合いが青い空によく映える。

美術館と劇場が中庭を囲むように配置され、中央には水盤が広がっている。

グラントワ中庭部分
photo©️Kyushima Nobuaki

ちなみに「グラントワ(Grand Toit)」は、フランス語で「大きな屋根」という意味だという。

館内に入ると、草間彌生(1929~)の《南瓜》が出迎える。

草間彌生《南瓜》1998年
photo©️Kyushima Nobuaki

永田コレクションの北斎展

今回のお目当ては、石見美術館で開催されている企画展

「永田コレクションの全貌公開〈二章〉 北斎-『葛飾北斎期』・『戴斗期』編」

である。

会期は2026年9月19日から11月9日まで。

北斎展入り口付近の様子
photo©️Kyushima Nobuaki

北斎展入り口付近の様子
photo©️Kyushima Nobuaki

葛飾北斎(1760~1849)が数え46歳から60歳頃まで、主に「葛飾北斎」「戴斗」(たいと)の画号を用いていた時代に焦点を当てた展覧会だ。

この時期の北斎は、読本の挿絵や絵手本の制作に力を注いでおり、1814年には代表作『北斎漫画』の初編を刊行している。

会場では版本を中心に、摺物や肉筆画など、多彩な作品が紹介されていた。

葛飾北斎《阿波之鳴門》
photo©️Kyushima Nobuaki

北斎展展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki

葛飾北斎《鏡美人》
photo©️Kyushima Nobuaki

ところで、なぜ島根県にこれほど多くの北斎作品が集まっているのだろうか。

その理由は、今回の展覧会タイトルにもついている永田生慈(1951~2018)の存在にある。

島根県津和野町出身の永田は、東京・原宿の太田記念美術館で副館長兼学芸部長を務め、国内外の北斎展にも深く関わった研究者である。

そして2017年、長年収集した北斎とその門人の作品・資料、実に2,398件を島根県に寄贈した。

永田生慈の説明パネル
photo©️Kyushima Nobuaki

永田生慈 北斎コレクションの解説パネル
photo©️Kyushima Nobuaki

興味深いのは、このコレクションが「県外不出」であることだ。

永田の遺志により、寄贈作品は松江市の島根県立美術館と益田市の石見美術館、島根県内の二つの美術館でのみ公開が認められているのである。

『北斎漫画』14冊がパリへ

今回の展示で、筆者が万博との関係から特に注目したのが『北斎漫画』である。

『北斎漫画』は1814年に初編が刊行された北斎の代表的な絵手本で、人物、動物、植物、風景、建築、風俗など、ありとあらゆるものが描かれている。

北斎展『北斎漫画』展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki

北斎展『北斎漫画』展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki

北斎展『北斎漫画』展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki

北斎展『北斎漫画』展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki

北斎展『北斎漫画』展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki

そしてさらに興味深かったのは、初編の板木である。

これは1814年刊の初編の当初の板木とされるもので、2009年に永田生慈が報告した貴重な資料だ。

初編は1828年に板木が彫り直されているが、それ以前の板木としては、ほかに現存例が知られていないという。

葛飾北斎『北斎漫画』初編の板木。1814年刊の当初の板木とされる唯一の現存例。
photo©️Kyushima Nobuaki

さて、この『北斎漫画』が、1867年パリ万博の出品記録に登場するのである。

1867年パリ万博は、江戸幕府が初めて本格的に参加した万博である。

幕府は徳川慶喜の弟、徳川昭武(1853~1910)をパリに派遣し、渋沢栄一(1840~1931)らが随行した。

幕府のほか、薩摩藩や佐賀藩なども参加し、日本の美術工芸品がヨーロッパに紹介された。

その江戸幕府の出品記録を収めた『徳川昭武滞欧記録 第二』156ページに、

『北斎漫画』14冊

という記載がある。(原文にはすべて旧書体の漢字で書かれている。以下同様)

『徳川昭武滞欧記録 第二』156、157ページ
国立国会図書館データベースより

北斎が亡くなったのは1849年。1867年パリ万博は、その18年後のことである。

『北斎漫画』は最終的に全15編となったが、15編が刊行されたのは1878年のことだ。

したがって、1867年に記録された14冊が具体的にどの編に当たるのかは、今後の確認が必要である。

『北斎漫画』だけではなかった

『徳川昭武滞欧記録 第二』をさらに調べると、北斎の作品は『北斎漫画』だけではなかった。

『北斎画譜』3冊、『北斎画本』1冊、『武蔵鐙』1冊

という記載もある。

『北斎画譜』は上・中・下の3冊からなる絵手本で、江戸東京博物館などに所蔵されている。

葛飾北斎『北斎画譜』、1849年、江戸東京博物館蔵(Public Domain)

また、『武蔵鐙』(むさしあぶみ)は、1836年に刊行された北斎晩年の武者絵本『画本武蔵鐙』(『絵本武蔵鐙』とも表記)を指すと考えられる。

メトロポリタン美術館などが公開している版本の見開きには、「画本武蔵鐙」の書名と「画狂老人卍筆」という北斎晩年の署名が見える。

葛飾北斎『画本武蔵鐙』、1836年。内題と序文。「画狂老人卍筆」の署名が見える。(メトロポリタン美術館蔵、Public Domain)

ただし、これらの現存する版本が、1867年パリ万博に出品された「現物」と確認されているわけではない。

北斎の版本に値段がついていた

この出品記録を調べていて、もう一つ興味深いことに気がついた。

集められた作品にそれぞれ値段がつけられているのである。

『徳川昭武滞欧記録 第二』の「博覧会出品元価帳」には、『北斎漫画』14冊について、

「代金壹両壹分永八拾三文三分」

という金額が記されている。

「永」は当時の金銭勘定に用いられた表記で、単純に現在の円に換算することはできない。

これは、「元価帳」という名称からすると、パリでの販売価格ではなく、日本側が把握していた調達原価、あるいは評価額と考えられる。

また、別の史料にはフランス通貨による価格も記録されていた。

『徳川昭武滞欧記録 第三』506ページの「価附帳 貳」である。

そこには、次のような情報が記されている。(かっこ内は元価帳の価格)

『北斎漫画』14冊:15フラン80サンチーム(1両1分 永83文3分)
『北斎画譜』3冊:15フラン24サンチーム(1分 永41文7分)
『武蔵鐙』1冊:2フラン39サンチーム(永125文)

日本側の元価だけでなく、パリで設定された価格まで記録されていたのである。

万博が美術品の展示の場であると同時に、売買する場でもあったことを感じさせる記録である。

北斎とジャポニスム

19世紀後半、ヨーロッパでは日本美術への関心が急速に高まっていく。

いわゆるジャポニスムである。

<247>でご紹介したティソをはじめ、モネ、ドガ、ゴッホなどの画家たちが浮世絵に関心を寄せ、その大胆な構図や平面的な色彩表現などから影響を受けたことはよく知られている。

1867年パリ万博は、そうした日本美術の受容が広がるうえで重要な機会の一つだった。

エドゥアール・マネ 『1867年のパリ万国博覧会』
Édouard Manet “View of the 1867 Exposition Universelle”

『北斎漫画』をはじめとする北斎関係の版本が1867年パリ万博の出品物として詳細に記録されていることは、北斎作品の海外への広がりを考えるうえで貴重な資料である。

今回、島根の石見美術館を訪れたことから、思いがけず19世紀のパリ万博でヨーロッパに紹介された江戸時代の出版物に出会うことができた。

次回は、松江市の島根県立美術館で出会った《冨嶽三十六景》と、1970年大阪万博との意外な関係をご紹介したい。

 

 


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