<223>茅ヶ崎美術館「世紀末パリの煌めき展」とミュシャ

1900 Paris
1900年パリ万博オーストリア館のポスター(部分) photo©️Kyushima Nobuaki

<222> から続く)

茅ヶ崎美術館で現在開催中の展覧会

茅ヶ崎美術館で現在開催中の展覧会は

世紀末パリの煌めき ―OGATAコレクションにみるミュシャ、シェレ、ロートレック

というものである。

会期は2026年6月17日(水)~8月23日(日)。

まさに1900年パリ万博の時代であり、期待が持てる。

OGATAコレクションより、ミュシャジュール・シェレトゥールーズ=ロートレックなどの作品が展示されているが、なんといっても圧倒的に存在感があるのがアルフォンス・ミュシャ(1860–1939)のポスター群だろう。

ミュシャの写真
photo©️Kyushima Nobuaki

サラ・ベルナールのポスターやタバコメーカーやシャンパンブランドのポスターなど、素晴らしい作品が、しかも多数展示されている。

ミュシャ『サラ・ベルナールのGISMONDA』
photo©️Kyushima Nobuaki

展覧会場の様子
photo©️Kyushima Nobuaki

展覧会場の様子 ミュシャ『モナコ-モンテカルロ鉄道』
photo©️Kyushima Nobuaki

展覧会場の様子
photo©️Kyushima Nobuaki

展覧会場の様子
photo©️Kyushima Nobuaki

展覧会場の様子
photo©️Kyushima Nobuaki

展覧会場の様子
photo©️Kyushima Nobuaki

展覧会場の様子
photo©️Kyushima Nobuaki

ミュシャによるタバコブランドJOBのポスター
photo©️Kyushima Nobuaki

ミュシャによるタバコブランドJOBのポスター
photo©️Kyushima Nobuaki

ミュシャの作品はいろいろな展覧会でも見てきたし、イマーシブにも行ったが、ここまで多数重要な作品群がまとめて展示されているのは初めてだった。

チェコ出身で、フランスで活躍し、アール・ヌーヴォーの代表的存在となったミュシャの作品は、洗練、エレガンス、モダニズムの象徴となった。

パリに出てきて印刷所で働いていたミュシャだったが、1895年の年の瀬に急遽、女優のサラ・ベルナールのポスターをピンチヒッターで担当することになり、それが人気となって世に出ることになったのである。

今回の展覧会でもサラ・ベルナールのポスターが数多く展示されている。
ミュシャは当時、1867年パリ万博1878年パリ万博を通じて流行していたジャポニスムの流れで日本の浮世絵などから影響を受け、アール・ヌーヴォーを代表する画家となったのであった。

アルフォンス・ミュシャと万博

これについては

<119>アルフォンス・ミュシャと1900年パリ万博

で詳しくご紹介した。

まず、ミュシャは、1900年パリ万博のボスニア・ヘルツェゴビナ館の内装を手がけた。
そこには、ミュシャの壁画『万国博に産物を提供するボスニア』が存在感を放っていた。
また、ふたつの大きな寓意像『糸を紡ぐ女』『刺繍をする女』の制作と、パビリオンの付属レストランのメニューオーストリア館のポスターの仕事をはじめとする他のグラフィックの仕事もおこなった。

この仕事でミュシャは銀メダルを獲得、さらには万博を主催したフランス政府からはレジオン・ドヌール勲章を受勲した。

さらには、1900年パリ万博では、この万博時に美術展会場として建てられた「グラン・パレ」において、「10年展」(”Exposition Décennale des Beaux-Arts De1889 à 1900”)という美術展が開催されたが、そこにもオーストリアからの出展として、次の4点の作品を出品している。

99. Notre Pere, ;aquarelle  『私たちの父』水彩
100. La Femme ;pannueau decoratif 『女性』 装飾パネル
101. Les Mois; desssins. 『月々』 デッサン
102. La Nature 『ラ・ナチュール(自然)』

『ラ・ナチュール』の元になった『黄道十二宮』

この102. La Nature 『ラ・ナチュール(自然)』という作品はじつはブロンズ彫刻だったが、その元の絵になったのは『黄道十二宮』という作品であり、その『黄道十二宮』も今回の展覧会で見ることができる。

ミュシャ『黄道十二宮』
photo©️Kyushima Nobuaki

1900年パリ万博オーストリア館のポスター

上記で、ミュシャはオーストリア館のポスターの仕事も担当した、とご紹介したが、今回そのポスターの実物を見ることができる。

オーストリア館ポスター
photo©️Kyushima Nobuaki

これは左に女性像が、右にオーストリア関連のいろいろな施設が紹介されているものだ。

右上の文字は

OESTERREICH
AUF DER
WELTAUSSTELLUNG
PARIS 1900

と書かれている。翻訳すると、

1900年パリ万博におけるオーストリア

となる。

その下には

WIENER RESTAURANT(ウィーン・レストラン)
EMRENSAAL(ビジネスホール)
OESTERREICH • REICHSHAUS(オーストリア国家館)
TIROLER ANSITZ(チロル地方の邸宅)
DAVILL・SIEMENS・HALSKE(ダヴィル社(仏)とジーメンス・ウント・ハルスケ社(独))
KRUPP RECONVALESC HEIM(クルップ社の保養施設)

などが紹介されている。

一番下はなぜか空欄になった四角い枠が描かれている。

下の2つはスポンサー企業の紹介になっているのだろうか。

クルップ社といえば1867年パリ万博で50トンの大砲を展示したことで有名な企業である。

1900年パリ万博ボスニア・ヘルチェゴヴィナ館のポスター

このポスターには、上に、「BOSNIE-HERZÉGOVINE(ボスニア・ヘルチェゴヴィナ)」と書いてあり、下の方には、「SOUVENIR DE L’EXPOSITION UNIVERSELLE(1900年パリ万博記念)」とある。

1900年パリ万博ボスニア・ヘルチェゴヴィナ館のポスター
photo©️Kyushima Nobuaki

これまた万博的には貴重なポスターである。

「人類館」のためのデザイン

また、今回はミュシャによる1900年パリ万博にあわせて計画された「人類館」のためのデザインも展示されている。

『通り過ぎる風が若さを奪い去る』(1899)

という作品である。

ミュシャ『通り過ぎる風が若さを奪い去る』
photo©️Kyushima Nobuaki

解説によると、

ミュシャは、人類の歴史や精神の発展を表現する壮大な展示空間を構想し、地球儀をモチーフとした一種の寺院のようなパヴィリオンを計画していた。しかし、この構想は実現には至らなかった。

とある。

残念ながらこの構想は実現しなかったらしい。

今回は、ミュシャによる1900年パリ万博の貴重なポスター3種(オーストリア館、ボスニア・ヘルチェゴヴィナ館、「人類館」のためのデザイン)の実物を見ることができ、大変有意義な茅ヶ崎への旅となった。

1900年パリ万博関連のポスター3点
photo©️Kyushima Nobuaki

タイトルとURLをコピーしました