中谷芙二子『霧のプロムナード 仙石原 霧の彫刻 #47721』
<236>でご紹介した、箱根のポーラ美術館で行われている、モネと21世紀のアート展。

ポーラ美術館入り口付近
photo©️Kyushima Nobuaki
その一環として展示されているのが、中谷芙二子『霧のプロムナード 仙石原
霧の彫刻 #47721』である。
ポーラ美術館の周囲には国立公園の自然が豊富に存在している。
その中に全長約1kmにわたって設置されているのが「森の遊歩道」である。
この中谷芙二子の『霧のプロムナード 仙石原 霧の彫刻 #47721』はその「森の遊歩道」の自然のなかに設置されている。
筆者が訪れた日はそもそも小雨で、美術館の周囲も靄がかかっているような雰囲気だったので、それが「作品」と気づくには少々時間がかかった。
遊歩道は、木々に囲まれて快適である。
森の匂いがする。
そんなところに、『霧のプロムナード 仙石原 霧の彫刻 #47721』は設置されており、森の中にその名の通り霧のプロムナードが通っているように見える。

中谷芙二子
『霧のプロムナード 仙石原』
霧の彫刻#47721
photo©️Kyushima Nobuaki

中谷芙二子
『霧のプロムナード 仙石原』
霧の彫刻#47721
photo©️Kyushima Nobuaki

中谷芙二子
『霧のプロムナード 仙石原』
霧の彫刻#47721
photo©️Kyushima Nobuaki

中谷芙二子
『霧のプロムナード 仙石原』
霧の彫刻#47721 パネル
photo©️Kyushima Nobuaki

中谷芙二子
『霧のプロムナード 仙石原』
霧の彫刻#47721
photo©️Kyushima Nobuaki

中谷芙二子
『霧のプロムナード 仙石原』
霧の彫刻#47721
photo©️Kyushima Nobuaki

霧の中に浮かぶロニ・ホーン『鳥葬(箱根)』
photo©️Kyushima Nobuaki
中谷芙二子と1970年大阪万博
中谷芙二子については以前(2023年9月3日)、NHKの日曜美術館で紹介された番組があったので記憶にあった。
その番組では舞踏家の田中泯氏とのコラボレーションの企画をドキュメントしていた。
その中で、彼女の「霧の彫刻」の原点は1970年大阪万博にある、と紹介されていたのである。
中谷 芙二子(なかや ふじこ、1933年〜 )は「霧の彫刻家」と呼べれるアーティストである。
父親の仕事の関係でアメリカ合衆国のイリノイ州で暮らし、ノースウェスタン大学美術科を1957年に卒業、その後パリとマドリッドで絵画を学んだという国際的な経歴である。
霧はドライアイスなどから作ったりするのが一般的だったが、彼女は「水」にこだわり、「水」で霧をつくる装置を開発し、1969年にその装置を完成させた。
それが1970年大阪万博「ペプシ館」での初展示となるのである。
「ペプシ館」のテーマは「垣根なき世界」。
日本万国博覧会公式記録(P432)には次のような記述がある。
ドームの外側にある 2,500本のノズルは、9 台のポンプラインによって連結され、たえまなく人工霧を発生させた。この人工霧に使用された水量は1 日10 時間実動で約230 ㌧であった。人工霧は、風のある日には雲となって建物の上にたなびき、夜はキセノンランプから発した白い光りのビームに囲まれ、幻想的な情緒をかもし出した。
これを手がけたのが、中谷芙二子だったのである。
この公式記録のペプシ館紹介には最後に
とある。
このE.A.T.グループは、1966年にニューヨークで結成された芸術と科学・技術の協働を推進する実験グループで、E.A.T.は、Experiments in Art and Technologyの略である。
ロバート・ラウシェンバーグらが中心となったアートグループで中谷はこのグループに参画し、そのE.A.Tが1970年大阪万博でペプシ館をプロデュースしたのである。
しかし、1970年の時点で、パビリオン全体を霧で覆う、といった発想をするとはやなり相当に前衛的である。
中谷芙二子はこの1970年大阪万博ペプシ館をその原点にして、その後も世界で活躍し続けているのである。
その中谷の、半世紀以上を経た最新作が、ここポーラ美術館の「森の遊歩道」に設置された『霧のプロムナード 仙石原 霧の彫刻 #47721』ということになるのである。

