<238>没後100年記念 住友春翠展と博覧会

1903第5回内国勧業博覧会
泉屋博古館東京入り口付近の住友春翠展サイン  photo©️Kyushima Nobuaki

没後100年記念 住友春翠展

現在、東京・六本木の泉屋博古館東京にて

特別展 没後100年記念 住友春翠
―仕合せの住友近代美術コレクション

という展覧会が開催中である。

会期は2026年8月29日ー10月12日。

住友春翠展 サイン
photo©️Kyushima Nobuaki

住友春翠展 泉屋博古館東京入り口付近の様子
photo©️Kyushima Nobuaki

泉屋博古館東京入り口付近の住友春翠展サイン 
photo©️Kyushima Nobuaki

住友春翠(1864~1926、住友家十五代吉左衛門友純)は、徳大寺公純と千世浦の第5子として生まれ、28歳の時に住友の養嗣子となって、1893年には住友十五世を嗣ぎ、住友の事業の近代化を推進、現在の住友グループの礎を築いた人物である。

そして、この泉屋博古館の収蔵品の大部分は住友春翠によって収集されたものである。

今回の展覧会はその没後100周年ということで彼のコレクションを総合的に紹介するものとなっている。

クロード・モネと林忠正

万博的にも興味深いものも展示されている。

今回唯一写真を許可されていたのがクロード・モネの2点である。

それは

クロード・モネ『サン=シメオン農場の道』(1864)
クロード・モネ『モンソー公園』(1876)

という2作品である。

クロード・モネ『サン=シメオン農場の道』(右) と
クロード・モネ『モンソー公園』
photo©️Kyushima Nobuaki

クロード・モネと万博の関係についてはこれまで何度もご紹介していた通りである。

また、この2点は、ともに1897年(明治30年)にあの林忠正から購入した、というのも興味深い。

林忠正

今回の解説パネルには次のようにある。

クロード・モネ『サン=シメオン農場の道』(1864)
1864年夏頃、モネがセーヌ河口の港町オンフルール近郊のサン=シメオン農場を訪れた際に描かれた。空の明るさや素早くのびやかなタッチは、のちの印象派へとつながる新しい展開を予感させる。
1896年、パリで美術商として活躍していた林忠正が入手し、翌年、欧米視察中の春翠が林から購入した。本作は『モンソー公園』とともに、日本へともたらされた最初期のモネの実作であり、住友家須磨別邸の大食堂に並べて掛けられた。
クロード・モネ『モンソー公園』(1876)
1874年に開催された第1回印象派展からほどなくして描かれた、筆触分割を用いた印象派時代のモネの典型的な作例。モンソー公園はパリ8区に位置するイギリス風庭園。本作は春翠が林忠正から購入した作品であり、モネの実作として早い時期に日本にもたらされた記念碑的な作品。昭和4(1929)年頃には、兄・西園寺公望の別邸である坐漁荘の応接間兼洋間に飾られていたことがわかっており、戦災による焼失を免れたものと思われる。

1900年パリ万博と住友春翠

また、1900年パリ万博との関係についても触れられている。

明治三十三年・1900 ー パリ万国博覧会の開催につき、出品組合員として三千円を出資。

というパネルがあった。

また、

二代川島甚兵衛 『猟犬図』(1910頃)

という作品が展示されているが、これは、

1900年パリ万博にアメリカ人画家サッタンの油彩画の模写を原画とする綴織の大作『猟犬図』(原画:竹内鎌太郎)を出品して高い評価を得た。
その図様をほぼ踏襲したもの。

ということである。

この川島甚兵衛については

<213>川島織物セルコンと2025年大阪・関西万博

でご紹介した。

二代川島甚兵衛(1853-1910)は、初代が1879年に没したため、家名を継承した人物で、1889年パリ万博に初出展し、金賞を受賞している。

その後も1893年シカゴ万博1900年パリ万博1904年セントルイス万博1905年リエージュ万博などに出展した人物なのである。

第五回内国勧業博覧会を契機に購入した作品群

また、1903年(明治36年)、大阪で開催された第五回内国勧業博覧会を契機に住友春翠が購入した作品も複数展示されている。

第五回内国勧業博覧会内国勧業博で最長の153日間、来場者数530万人で、5回開催された内国勧業博覧会の中で最大の規模を誇った。

そして、この内国勧業博覧会が結果的には最後の博覧会となった。

この博覧会では欧米を中心に十数カ国が出品し、1900年パリ万博アール・ヌーヴォーの流行の影響もあった。

この博覧会で、春翠は同会協賛会会長と評議員を務めている。

春翠は図録に明記されているだけでも、この博覧会に展示された作品を38点購入している。

今回の展覧会でも下記の作品を見ることができる。

原田西湖(1880-1926)『乾坤再明図』(1903)
二代井上良斎(1845-1905) 『巌上白鷲置物』(1903)

図録の説明によると、この二代井上良斎は、1900年パリ万博では金賞牌を受賞、渡仏してセーブル製陶所などを視察した、ということである。

七代錦光山宗兵衛(1868-1927) 『京舞子置物』(1903頃)
安藤重兵衛(1856-1945) 『銀七宝孔雀尾花瓶』(1903)

図録の説明によると、安藤重兵衛1900年パリ万博を視察し、フェルナン・テスマーの省胎七宝を持ち帰ってその再現を試みるなど、近代七宝の発展に尽力した、ということである。

三代清風与平(1851-1914) 『青磁瓜に虫彫花瓶』(1903頃)

三代清風与平については、

<16>「重要文化財の秘密」展 東京国立近代美術館

でもご紹介した。

三代清風与平『白磁蝶牡丹浮文大瓶』 (1892)を1893年シカゴ万博に出品した。

この作品は2017年重要文化財に指定されている。

佐々木庄次郎(生没年不詳) 『半磁桜華模様花瓶』(1903頃)

その他の興味深い作品

黒田清輝『朝妝』

黒田清輝『朝妝』(1892-93)も、住友春翠が1895年に購入したものである。

これは第四回内国勧業博覧会(1895)へ出品した問題作で、裸体画展示の是非をめぐって「朝妝」事件と呼ばれる論争を巻き起こした。

黒田清輝についても何度かご紹介した。
上記、<16>「重要文化財の秘密」展 東京国立近代美術館 に加えて

<216>山種美術館で開催中の「川合玉堂展」

も参考にしていただきたい。

1900年パリ万博には『湖畔』など全4点を出品しており、その中で一番評価され、銀賞を獲ったのが『智・感・情』(当時は『女性習作』というタイトルだった)であった。

黒田清輝『湖畔』、東京国立博物館 #重要文化財の秘密
Kuroda Seiki, Lakeside, Tokyo National Museum

浅井忠『河辺の古城址』、『河畔洋館』

また、浅井忠(1856-1907)『河辺の古城址』(1902年ごろ)、『河畔洋館』(1902)も展示されていた。

浅井忠1900年パリ万博「千九百年巴里萬國博覧会臨時博覧会事務局」「事務嘱託員」としてパリに派遣されていた人物だが、彼についても何度かご紹介した。

初代宮川香山『犬張子香合』 、『菊花形藤花図壺』

初代宮川香山(1842-1916) の『犬張子香合』 (1910)、『菊花形藤花図壺』(1906頃)も展示されている。

初代宮川香山についても
<16> 「重要文化財の秘密」展 東京国立近代美術館

でご紹介した。

1876年フィラデルフィア万博では高浮彫で作られた眞葛焼を出品。

また、1893年シカゴ万博にも『黄釉銹絵梅樹図大瓶(おうゆうさびえばいじゅずたいへい)』を出品しているが、1881年第二回内国勧業博覧会には有名な『褐釉蟹貼付台付鉢(かつゆうかにはりつけだいつきばち)』を出品している。

初代宮川香山『黄釉銹絵梅樹図大瓶』、東京国立博物館 #重要文化財の秘密
Miyagawa Kozan I, Large Vase with a Plum Tree, Tokyo National Museum

初代宮川香山『褐釉蟹貼付台付鉢』、東京国立博物館 #重要文化財の秘密
Miyagawa Kozan I, Footed Bowl with Crabs, Tokyo National Museum

今回の展覧会では、内国産業博覧会に出展された作品や、万博に関連した作家の作品を複数見ることができる。

特に第五回内国産業博覧会に出展された作品を眼前に見る時、これらの作品が100年以上前に大阪で開催された博覧会に出展されたものであり、それらが住友春翠というコレクターによって収集され、無事に保存されてきたという事実に、深い感銘を受けるのである。

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