<156>セーヌ河畔に今もたたずむオシップ・ザッキン『メッセンジャー』

1937 Paris
セーヌ河畔にたたずむオシップ・ザッキン『メッセンジャー』 『LE MESSAGER』ZADKINE 1898-1967 という刻印が確認できる photo©️Kyushima Nobuaki

アンバリッド橋近くのオシップ・ザッキン『メッセンジャー』

ピカソ『ゲルニカ』を描いたパリのアトリエを前回<155>でご紹介した。

『ゲルニカ』1937年パリ万博スペイン共和国館に出展された作品だが、今回は、同じ1937年パリ万博関連の作品をご紹介したい。

その作品とはオシップ・ザッキン(1890-1967)『メッセンジャー』

この作品は、今もパリのピカソのアトリエと同じセーヌ川左岸、アンバリッド橋の近くにたたずんでいる。

セーヌ河畔にたたずむオシップ・ザッキン『メッセンジャー』
photo©️Kyushima Nobuaki

セーヌ河畔にたたずむオシップ・ザッキン『メッセンジャー』
『LE MESSAGER』ZADKINE 1898-1967
という刻印が確認できる
photo©️Kyushima Nobuaki

『メッセンジャー』からアレクサンドル3世橋、セーヌ川の対岸にはグラン・パレが見える
photo©️Kyushima Nobuaki

『メッセンジャー』最寄りのアンバリッド橋の東側にある橋はアレクサンドル3世橋

そしてその対岸にあるのがグラン・パレプティ・パレである。

この3つはすべて1900年パリ万博を契機として作られたものである。

朝早く訪れたせいか、人も少なくゆっくりと鑑賞できる。
朝焼けの中で『メッセンジャー」はまた独特の雰囲気で静かにたたずんでいた。

セーヌ河畔にたたずむオシップ・ザッキン『メッセンジャー』(背面、セーヌ川サイドから撮影)
photo©️Kyushima Nobuaki

セーヌ河畔にたたずむオシップ・ザッキン『メッセンジャー』(西側を望む)
photo©️Kyushima Nobuaki

この『メッセンジャー』であるが、このブロンズ像の元になった木造は1937年パリ万博に出展されたものであった。

『メッセンジャー』背面下の銘板には下記のように書かれている。

『メッセンジャー』(背面)の台座の刻印
photo©️Kyushima Nobuaki

LA SCULPTURE EN BOIS
D’APRES LAQUELLE A ETE
EFFECTUE CE TIRAGE EN BRONZE DECORAIT
LE PAVILION DES BOIS
EXOTIQUES A L’EXPOSITION
INTERNATIONALE DE 1937
CE PAVILLON SE SITUAIT
QUAI D’ORSAY, A QUELQUES METRES DE L’EMPLACEMENT ACTUEL DE LA STATUE
(翻訳)
このブロンズ像の元となった木彫は、1937年の万国博覧会のエキゾチックウッド・パビリオン(「異国の木材」館)を飾っていた。
このパビリオンは、この像の現在の場所から数メートル離れた「オルセー河岸 (Quai d’Orsay)」にあったものである。

つまり、このブロンズ像は1937年パリ万博に出展されたザッキンの木彫りの像をもとに鋳造されたものであった。

じつはこの話には後日談があるが、それは次回<157>でご紹介したい。

 

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