石川県のお隣の富山県の富山市ガラス美術館では、金沢の国立工芸館に類する展覧会が開催されていた。
それは下記のようなものである。
「TOYAMAキラリ」
この富山市ガラス美術館が入っている「TOYAMAキラリ」という建物は建築家隈研吾氏の設計によるものである。竣工は2015年。

「TOYAMAキラリ」外観
路面電車の電線が多く走る
photo©️Kyushima Nobuaki

「TOYAMAキラリ」入り口付近
photo©️Kyushima Nobuaki
外観のキラキラとした様子は立山の氷の岩脈、あるいは、富山で作られる美しいガラスのアートを表現しているらしい。
内部は木材を多用し、独特のデザインになっており、図書館も併設されている。この内部デザインをみると、隈研吾氏の設計ということがわかる。

「TOYAMAキラリ」内部の様子
photo©️Kyushima Nobuaki

「TOYAMAキラリ」内部の様子
photo©️Kyushima Nobuaki
富山市は金沢市と違って、人も少なく落ち着いた雰囲気の街だったが、このようなところにこんな立派な施設が作られているのはある意味羨ましいことである。
人口的には東京都の各区にもこれよりも立派な施設があっても何ら不思議ではない。
アール・ヌーヴォーのガラス展
さて、展覧会である。

富山市ガラス美術館コレクション展サイン
photo©️Kyushima Nobuaki

富山市ガラス美術館コレクション展サイン
photo©️Kyushima Nobuaki
金沢の工芸館の展覧会と違ってルネ・ラリックの作品はないが、バカラ、エミール・ガレ、ドーム兄弟など共通する作家の作品も多数展示されている。

スタンド付き花器『月に雁』 バカラ
photo©️Kyushima Nobuaki

『菊・昆虫・竹』 エミール・ガレ
photo©️Kyushima Nobuaki

花器『蝶・蛙』 エミール・ガレ
photo©️Kyushima Nobuaki

台付鉢『マーガレット』(左)、水差し『アザミ』
エミール・ガレ
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大杯『アラベスク』 エミール・ガレ
photo©️Kyushima Nobuaki

花器『鯛・海藻』 エミール・ガレ
photo©️Kyushima Nobuaki

小物入れ『チューリップ』(左)、小物入れ『貝』
エミール・ガレ
photo©️Kyushima Nobuaki

花器『群像』 エミール・ガレ
photo©️Kyushima Nobuaki

ランプ『蝶』
エミール・ガレ
photo©️Kyushima Nobuaki

ランプ『散形花序』 エミール・ガレ
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左から、棚、ティーテーブル、陳列棚『桜』
エミール・ガレ
photo©️Kyushima Nobuaki

花器『葡萄とカタツムリ』
ドーム兄弟
photo©️Kyushima Nobuaki

『ランプ』
ドーム兄弟
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花器『大麦』(左)、花器『スイトピー』
ドーム兄弟
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花器『マーガレット』(左)、インク壺『すみれ』(中央)、香水瓶
ドーム兄弟
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花器『ローマンヒヤシンス』(左)、花器『松ぼっくり』
ドーム兄弟
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花器『矢車草』(左)、花器『蜻蛉』
ドーム兄弟
photo©️Kyushima Nobuaki
エミール・ガレの「1900年パリ万博の領収書」
万博関連で興味深い展示品もあった。
それは、エミール・ガレの「1900年パリ万博の領収書」と名付けられた一つの文書である。

「1900年パリ万博の領収書」 エミール・ガレ
photo©️Kyushima Nobuaki

「1900年パリ万博の領収書」(拡大) エミール・ガレ
photo©️Kyushima Nobuaki
これは、1900年パリ万博の際、作品売却の際にガレが発行した領収書である。
宛名、受領した合計金額(フラン)の記載欄のほか、「アイディアやイメージを形にする」といった売り文句や、「販売者の名刺を添付してください。クレームの際必要となります」などの注意書きが書かれている。
書体も含め、一見領収書とはわからないアール・ヌーヴォーの「作品」に仕上がっているようで面白い。
エミール・ガレと万博
この1900年パリ万博だけでなく、ガレは万博に積極的に参加していた。
1867年パリ万博(第2回目のパリ万博)では、エミール・ガレの父シャルルが出品し、クリスタルガラス、高級ガラス、ステンドグラス部門で選外佳作賞を受賞している。このとき、ガレは父の手伝いのために半年間パリに滞在した。
次の1878年パリ万博でも出品している。
この万博で「月光色がラス」を発表した。
第19クラス(クリスタルガラス、ガラス、ステンドグラス)、第20クラス(陶器)で銅賞受賞、また、第85クラス(庭園装飾のための芸術園芸用陶器)で銀賞を受賞している。
パリでの第3回目となる1889年パリ万博にも出品した。
第19クラス(クリスタルガラス、ガラス、ステンドグラス)でグランプリ、第20クラス(開器)で金賞、第17クラス(廉価な家具と高級家具)で銀賞を受賞した。
このとき、文筆家マルセル・プルーストやエミール・ゾラ、大女優サラ・ベルナールなどとの交流を深めている。
このあと、アメリカで開催された1893年シカゴ万博にもガレの作品が展示された。これはパリ装飾美術館所蔵のものであった。
そして、1900年パリ万博にも上記のように参加した。
第69 クラス(現代家具調度品部門フランス部門)、第73クラス(クリスタルガラス、ガラス部門)、「19世紀諸芸術100年回顧展」「フランス家具調度品100年美術館」「フランスのガラスの歴史」「装飾美術中央連合パヴィリオン」に出品し、ガラスと家具でグランプリを受賞した。
エミール・ガレは1846年5月4日 に生まれ、1904年9月23日に逝去しているが、その人生の中の重要な万博でいずれも出品し、成果を上げた人物であったことがわかる。

