「瀧口修造 書くことと描くこと」展
現在、東京・中央区のアーティゾン美術館にて
という展覧会が開催中である。
開催期間は2026年6月23日ー10月4日。

「瀧口修造展」サイン
photo©️Kyushima Nobuaki
滝口修造(1903-1979)は20世紀前半から特にシュールレアリズムに関心を寄せ、海外のいろいろな画家を日本に紹介した美術評論家であり、また、詩人であり、また自身でも画家として制作をも行なった人物である。
今回の展覧会では、瀧口修造が紹介した作家とその作品があわせて紹介されている。
例えば、セザンヌ、ミロ、デュビュッフェ、ルドン、ブランクーシ、マン・レイ、デュシャンのような作家が取り上げられている。

ジョアン・ミロ『絵画』
photo©️Kyushima Nobuaki

ジャン・デュビュッフェ『スカーフを巻くエディット・ボワソナス』
photo©️Kyushima Nobuaki

コンスタンティン・ブランクーシ
『ポガニー嬢II』
photo©️Kyushima Nobuaki
瀧口修造とジョアン・ミロ
瀧口修造は上記のようにいろいろな作家を紹介しているが、中でも、特に有名なのが、ジョアン・ミロ(1893-1983)の紹介である。
瀧口修造は、「世界で初めて」ミロに関する単行本を出版した人物でもあった。
ジョアン・ミロといえば、1937年パリ万博で、ピカソがあの『ゲルニカ』を出展した時に、同じ「スペイン共和国パビリオン」に『刈り入れ人』(現在消失)を出展した万博がらみの作家である。
また、ジョアン・ミロは1970年大阪万博の際に「ガス・パビリオン」に『無垢の笑い』という陶板壁画を展示したこともあった。
この件については、
でご紹介した。

ジュアン・ミロ『無垢の笑い』
Joan Miró “Innocent
ミロはこのころ、1966年(初来日)、1969年と2度来日している。
ミロの初来日は「ミロ展」のための来日だったが、瀧口修造とミロとの交流はその時から始まっている。
この件については
で詳しくご紹介したが、あらためて下記少し引用してみる。
これは、ミロと瀧口修造が初めて対面したときのことであるが、ミロが日本で開催される「ミロ展」のために初来日した1966年9月23日のことだった。*
私はミロと瀧口修造の初対面の情景を鮮明に思い出す。その日私は朝からミロに同行していた。草月会館や銀座のいくつかの画廊を見てまわるのに同行して欲しいといわれたためだった。瀧口さんは、1940年にアトリヱ社から出した『ミロ』を2冊持って、南画廊で待っていた。ミロの同行は、マーグ画廊主のエーメ・マーグと、大冊のミロ研究を書いた詩人のジャック・デュパンだった。瀧口さんが、いつもの口籠る小声で、ついに逢うことのできたこの画家と二言、三言語り、20数年前の自著をミロたちに手渡したとき、デュパンが、『1940年?それでは、この本がミロについて書かれた最初の本ではないか!』と言ったのだ。このことは、瀧口修造自身は知っていたことだった。知られている限りでは、欧州でミロについての最初の単行本が出たのは、1941年のことだったからである。
ミロは感動して瀧口修造の肩を抱いた。少しも大げさにでなく。私はそのときの、この2人の無口な詩人の、言葉少ない抱擁を、鮮明に記憶にとどめている。
*
ミロと瀧口修造はこの後、親しくつきあい、瀧口修造の詩にミロが絵をつけた共作となる詩画集もいくつか残している。
そして、今回の展覧会では上記で語られた「世界で初めてのミロについて書かれた本」である、
も展示されていた。

瀧口修造『ミロ』1940年刊
photo©️Kyushima Nobuaki
また、瀧口修造の詩とミロの絵による、『ミロの星とともに』(1978年、リトグラフ、書籍)も展示されているので必見である。

詩:瀧口修造
リトグラフ:ジョアン・ミロ
『手づくり諺ージョアン・ミロに』(1970)
photo©️Kyushima Nobuaki

瀧口修造/ジョアン・ミロ
『ミロの星とともに』(1978)
photo©️Kyushima Nobuaki
(<226>につづく)


