<241>アルベール・マルケ展と1937年パリ万博

1937 Paris
アルベール・マルケ『ラ・グレットの窓』(1926)(部分)

雨の日のSOMPO美術館へ

東京は、統計史上最長の35日連続雨らしい。

先週は東京を脱出して視察に出かけていたので雨には悩まされなかったが(この視察の話はまた別途ご報告したい)、なんだかずっと暗い空で、激しくもなく、雨はしとしと降っている。

こんな日は美術館に限る。

東京・新宿のSOMPO美術館でアルベール・マルケ展が始まったので行ってみた。

SOMPO美術館マルケ展サイン
photo©️Kyushima Nobuaki

SOMPO美術館マルケ展サイン
photo©️Kyushima Nobuaki

アルベール・マルケ(1875-1947)の単独個展は珍しく、行ってみると代表的な作品群がずらりと並んでいる。

日本ではそこまでの人気ではないのでは、と思っていたが、雨の日にもかかわらず、結構な数の入場者でにぎわっていた。

SOMPO美術館のホームページによると、次のようにある。

フランス南西部の港湾都市ボルドーで生まれたマルケは、パリで盟友アンリ・マティスと出会い、仲間たちとともに純粋色と自由な筆触を用いた「フォーヴィスム(野獣派)」と呼ばれる作風を展開していきます。しかし、終始、観察に基づいて描く態度を崩すことはなく、「マルケのグリ(灰色)」と呼ばれた独特な灰色の使い方をはじめ、ニュアンスに富んだ中間色のトーンの対比によって、風景画を描くようになります。
彼はパリの自宅から眺めたセーヌ、南仏やアルジェなど旅先で出会った水辺の情景を愛し、時間や天候を変えて同じ場所を繰り返し描きました。高所から俯瞰する角度で水辺と建物が織りなす風景を見つめ、それらを単純化した色面で構成し、風景の本質的な構造を浮き彫りにしたのです。また、人々や車、船といった都市生活のモティーフを軽やかに描き、そのわずかな筆致で真髄を捉える描写力には、日本美術の影響も指摘され、マティスから「我らの北斎」と称えられました。
本展は、日本におけるマルケの35年ぶりの回顧展です。初期から晩年に至る画風の変遷をたどるとともに、水辺の情景などいくつかの重要なモティーフやテーマに焦点を当てます。さらには晩年のポン=ヌフ連作の特異な魅力を浮き彫りにします。作家ゆかりの重要なパブリックコレクション、日本の主要美術館、日仏の個人所蔵家から厳選された作品約90点が一堂に会します。

会期は2026年9月22日ー12月13日まで。

一部写真撮影も可能だった。

『裸婦、通称フォーヴの裸婦』(1898)

展覧会場入ってすぐにあるこの絵をみて、「あれ、これ、アーティゾン美術館で見たかも?」と思ったが、もちろん違う絵であった。

アルベール・マルケ『裸婦、通称フォーヴの裸婦』(1898)ボルドー美術館

マルケはアンリ・マティス(1869-1954)などと一緒に絵を描いており、のちにフォーヴィスム(野獣派)と呼ばれる新しい絵画を研究していた。

今回の本作の解説にも

マルケは友人のアンリ・マティスと競うように本作に取り組みました

とある。

「見たかも?」と思ったのは、じつはマティスの絵だったのである。

アンリ・マティス『画室の裸婦』(1899)
石橋財団アーティゾン美術館

こうやって比べてみると、大変よく似ている。

今回の展覧会の「鑑賞ガイド」という小冊子の表紙にもこの2作が並べてレイアウトされている。

1900年パリ万博とアルベール・マルケ

ちなみに、アルベール・マルケと万博の関連を調べていくと、1900年パリ万博にちょっと関連していることがわかった。

今回の展覧会の図録によると、年表の1900年(25歳)のところに、次のようにある。

金のなかったマルケとマティスは、1900年の万博に際して、装飾家マルセル・ジャンボンのためにペンキ塗りとして働き、グラン・バレを装飾するフリーズ彫刻を制作する。

これは、正式な参加とまでは言えないが、1900年パリ万博のためにできたグラン・パレで、こんな形で「参加」したことはわかる。

グラン・パレ
photo©️Kyushima Nobuaki

1937年パリ万博とアルベール・マルケ

ところが、その37年後の1937年パリ万博では、プティ・パレで開催された、ピカソやマティスも参加した例の「独立美術の巨匠たち 1875-1937」展(巨匠展)で、マルケに1室(第14室)が与えられ、37点もの作品を展示している。

プティ・パレ正面
photo©️Kyushima Nobuaki

また、第19室ではロダンの彫刻が主に展示されていたが、そこにもマルケはブロンズの彫刻作品『Jeune fille se coiffant(髪を整える少女)』を展示しているのである。

1937年パリ万博「独立美術の巨匠たち 1895-1937展」プレィ・パレのフロアプラン
マルケの部屋は第14号室。ロダンの部屋は第19室。
photo©️Kyushima Nobuaki

さて、それではその37点の絵画作品はどうだったか。

筆者のもつ巨匠展の図録にはそのリストが載っている。

1937年パリ万博「独立美術の巨匠たち 1895-1937展」のカタログ マルケのページ
photo©️Kyushima Nobuaki

では、今回のSOMPO美術館のマルケ展の作品の中に1937年パリ万博巨匠展に出展されていたものはあったのか?

探してみると、あったのである。

それが先述の

『裸婦、通称フォーヴの裸婦』

だった。

巨匠展のマルケのページの一番最初に

1. Nu fauve (フォーヴの裸婦)(1898)

とある。

制作年も一致している。
また、この作品は1点ものである。

じつはマルケはモネの連作(睡蓮、積みわら、ルーアン大聖堂など)に影響を受けて、結構連作を制作している。

今回のマルケ展では、ノートルダム大聖堂、ポン・ヌフ、ル・アーヴル、ルーアン、ナポリ、マルセイユなどをテーマにした連作された作品も展示されている。

アルベール・マルケ『ノートル=ダム大聖堂、陽光』(1904)

アルベール・マルケ『ル・アーヴル、船渠』(1908)

アルベール・マルケ『ナポリ、帆船』(1909)

アルベール・マルケ『マルセイユの馬』(1916)

アルベール・マルケ『ル・ピラ』(1935)

アルベール・マルケ『雪と緑色の空、パリ(ポン=ヌフ)
[冬のパリ(ポン・ヌフ)]』(1947)

連作の作品が多いということは、同じタイトル、制作年でも連作ものについては、万博に出展されたそのものの作品と断定することは難しい。

しかし、調べると、この『裸婦、通称フォーヴの裸婦』はボルドー美術館所蔵の非常に有名な初期代表作の「1点もの」とされており、そうするとこの作品こそ1937年パリ万博巨匠展に出展されたそのものの作品である、といってもいいだろう。

では、今回の展覧会出展作で巨匠展に出展されていたものは、その他にはないだろうか。

調べていくと、ほかに、『グラン=ゾーギュスタン河岸』、『ノートルダム大聖堂の後陣』、『ラ・ロシェル』、『サン=ミシェル橋、パリの洪水』などが、巨匠展の出展リストと、タイトルと年代が合致する。

しかし、前述のように連作も多く、現時点では、タイトルと年代が一致したからこれが本当に1937年パリ万博に出展された、と断定するのはなかなか難しいのである。

『ラ・グレットの窓』(1926)

ただ、もう1点、1937年パリ万博巨匠展に出展された確度の高いのは、この作品『ラ・グレットの窓』(1926)である。

アルベール・マルケ『ラ・グレットの窓』(1926)

この作品はボルドー美術館所蔵のものであるが、巨匠展のリストには、

35. La fenêtre (1926)(窓)
  A M. ALBERT MARQUET(アルベール・マルケ蔵)

と記述されている。

この作品は、「アルベール・マルケ(本人)蔵」とあり、それが、現在のボルドー美術館受贈品と一致するため、この作品は1937年パリ万博に出展されたその作品ではないかと思われるのである。

アルベール・マルケの非常にめずらしい個展、しかも万博に出展された(かもしれないものも含めて)作品が見れる貴重な機会である。

ご関心のある方は、ぜひ一度足を運ばれてはいかがだろうか。

 

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