リサ・ラーソン追悼展が開催中
現在、東京の松屋銀座でリサ・ラーソン追悼展が開催中である。

リサ・ラーソン展サイン
photo©️Kyushima Nobuaki
会期は2026年9月25日-10月12日。
デパート催事なので、会期は短い。
展覧会ホームページには次のようにある。
2024年3月、世界中の多くのファンに惜しまれながら92歳でこの世を去りましたが、彼女が遺した温もりあふれる作品たちは、今なお私たちの心を捉えて離しません。
リサ・ラーソンの追悼展となる本展では、「アーティスト」「デザイナー」、そして彼女が与えた影響を企業や職人が形にした「インスピレーションの源」という3つの領域から、生涯にわたる制作活動を辿り、その魅力の原点をひもときます。
会場には、彼女の代名詞とも言えるアイコニックな名作をはじめ、これまで日本で公開されることのなかった貴重な作品を含む、約250点が一堂に集結。芸術家としての純粋な探求心と、暮らしを彩るプロダクトデザイナーとしての手腕、そして他者との協働が交錯するリサ・ラーソンの真骨頂を、ぜひその目でお確かめください。
雨の日の平日にもかかわらず、会場は思ったより混雑していた。
女性の来場者が大半である。

リサ・ラーソン展展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki

リサ・ラーソン展展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki

リサ・ラーソン展展示風景
photo©️Kyushima Nobuaki
かわいいデザインの猫やハリネズミなどの動物など、どこかユーモラスで、見ていて気持ちがほっこりする感じがする。

リサ・ラーソン『大皿(ユニークピース)』
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リサ・ラーソン『青いネコ(原型作品)』(左)、『ムッレ(大)』
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リサ・ラーソン『ネコ/大きな動物園シリーズ』
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リサ・ラーソン『ブルドッグ/大きな動物園シリーズ』
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リサ・ラーソン『家族』
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リサ・ラーソン『ブルドッグ/ケンネルシリーズ』
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リサ・ラーソン『ゾウ/アフリカシリーズ』
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リサ・ラーソン『ハリネズミ/絶滅の危機にある動物シリーズ』
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リサ・ラーソン『ミニチュア(原型作品) イヌ、ネコ、ウサギ、ネズミ』
photo©️Kyushima Nobuaki
リサ・ラーソンと1970年大阪万博
さて、このリサ・ラーソン(Lisa Larson, 1931-2024)であるが、1970年大阪万博を訪問している。
当時、名門陶芸レーベル「グスタフスベリ(Gustavsberg)」の中心デザイナーとして、既にヨーロッパで高い評価を得ていたリサ・ラーソンは、 1970年大阪万博開催に際し、スウェーデンと日本のデザイン・工芸交流を目的として結成された「スウェーデンデザイナー代表団」の代表メンバーの一人として選出され、公式に初来日を果たしたのである。
そして、そのときに彼女は栃木県益子町を訪れ、そこで濱田庄司と会うこととなった。
濱田庄司(1894-1978)といえば、柳宗悦などとともに日本の民藝運動を牽引し、のちに人間国宝となった人物である。
リサは濱田の工房や邸宅を訪ね、そこで日本の伝統的な窯焚きや手仕事のぬくもり、そして民藝運動の「名もなき職人による生活美」という思想に強く共鳴することとなった。
<221>ではルーシー・リーと濱田庄司の交流を紹介したが、日本の民藝運動はこのように多くの海外の芸術家に影響を与えていたことがわかる。
そして、リサ・ラーソンの場合、そのきっかけは1970年大阪万博だったのである。
1970年大阪万博とスウェーデン
さて、リサ・ラーソンが1970年大阪万博のスウェーデンの出展に直接関わったという事実は出てきていない。
上記のように、万博を機会に訪日した、ということであろう。
しかし、1970年大阪万博では、彼女の祖国スウェーデンはどんな出展をしていたのだろうか。
彼女も、万博に来たからにはその展示は見たに違いない。
1970年大阪万博とスカンジナビア館
じつは、1970年大阪万博ではスウェーデンは、デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェーとともに「スカンジナビア館」として出展していた。
出展テーマは「産業化社会における環境の保護」。
1970年大阪万博の公式記録によると、展示については次のように書かれている。
1970 年が「自然保護の年」で、NATO(北大西洋条約機構)でも自然保護が真剣に討議されていることから、展示は産業の進歩につれてプラスとマイナス面が出てくる矛盾をどのように解決すべきか、という公害問題に焦点を合わせて展開された。
展示室は、入口から出口までがまっすぐの、幅15 ㍍、長さ36 ㍍、高さ7 ㍍の長方形であった。展示は工業化・産業化社会が必然的にもたらす公害の実態と、これに対する環境保護を観客に訴えたもので、映像展示が多かった。
(後略)
スカンジナビア館はスウェーデン主導だったことが伺える。
また、展示は映像中心の展開だったらしく、それについては、下記のように説明がある。
スクリーンの映像は 7,200 枚のスライドで、人類を取巻く現代の生活環境のよい面と悪い面を取上げ、日本語と英語で説明が加えられた。展開は、テーマの紹介にはじまり、ピエロによる問題点の説明、水、大気、土地のそれぞれの環境破壊や、公害を除去するための人類の努力と科学、スカンジナビアの開発プロジェクト、公害から自然を守るための立法化が、説明用の図形を使ったり日本人も登場したりして、ドキュメンタリー形式で構成された。「聖壇」と名付けられたラスト部分では、再びピエロが登場して時間と空間を超越した“ミスター・ノーボデー”を演じ、公害を風刺した。
大阪万博全体のテーマ「人類の進歩と調和」について真摯に取り組んでいる様子が伺える。
泉眞也氏の解説
また、この展示については故・泉眞也氏(1930-2022)から直接伺ったことがあった。
泉氏が筆者に語ったのは、次のような内容であった。
自分がどこにいるかもわからない暗闇の中で、上から降ってくる映像をそれで探しながら手元のボードで受け止めて見る。そしてまた進む。
これは発想の転換で、参加者は自分で能動的に動いて、自分が受け止めた映像に集中する。
大阪万博の中でも印象に残った演出方法であった。
正確な言葉遣いは違うが、内容は上記のようなもので、大変楽しそうに語っていただいたことを今でも思い出す。
リサ・ラーソンもこの演出を体験しただろう。
そしてその後、濱田庄司との出会いがあり、それが、彼女の作風にも影響を与えていくことになったのだろう。
今回の展覧会でも、民藝的、と思える作品も見ることができる。

リサ・ラーソン『魚形大皿』『魚形小鉢』
photo©️Kyushima Nobuaki
会期が短く、混雑が予想されるので、早めに行かれた方がいいだろう。

