「逸翁美術館コレクション 蕪村・呉春と茶の湯の名品」展
現在、東京・六本木のサントリー美術館で、
が開催されている。
開催期間は、2026年9月16日から11月8日まで。

「逸翁美術館コレクション 蕪村・呉春と茶の湯の名品」展 入り口サイン
photo©️Kyushima Nobuaki
サントリー美術館のホームページには、この展覧会について、次のように紹介されている。
つまり、「逸翁(いつおう)」とは、小林一三(こばやし・いちぞう)の雅号である。
小林一三は、阪急電鉄をはじめ、阪急百貨店や東宝などの事業を手がけ、阪急東宝グループの礎を築いた実業家として知られる。
山梨県に生まれ、慶應義塾大学を卒業後、三井銀行に勤務。
その後、鉄道事業を起点に、百貨店や娯楽事業などへと活動の領域を広げていった。
そして、筆者がとりわけ注目しているのは、小林一三が宝塚歌劇団の創設者でもある、という点である。
このことについては、後ほど改めて触れたい。
幅広い収集品が並ぶ展覧会
さて、今回の展覧会では、小林一三が収集した古筆や経巻、中世・近世の絵画と工芸、与謝蕪村や呉春をはじめとする近世諸派の絵画、そして茶道具など、幅広いコレクションが展示されている。
そして、小林一三自身の作品も見ることができる。

《夢嫡茶》小林一三
photo©️Kyushima Nobuaki

《「清・正・美」扇面》小林一三
「清く、正しく、美しく」は宝塚歌劇の精神を象徴する言葉として広く知られる。
photo©️Kyushima Nobuaki

《藝又藝》小林一三
photo©️Kyushima Nobuaki
茶道具のコーナーでは、小林一三が海外旅行の際に入手したり贈られたりし、茶道具として転用した西洋の陶磁器やガラス器なども展示されている。
写真撮影が許可されている作品は限られていたが、その中から、いくつかをご紹介したい。
まず、筆者の目を引いたのは、エミール・ガレ(1846~1904)の《草花文ガラス壷(茶器)》である。

エミール・ガレ《草花文ガラス壷(茶器)》
photo©️Kyushima Nobuaki
エミール・ガレについては、このブログでも何度か紹介してきた。
万博にもたびたび作品を出品した、アール・ヌーヴォーを代表する工芸家である。
今回展示されている作品は、正岡子規の叔父にあたる政治家・加藤恒忠(1859~1923)から、土産として小林一三に贈られたものだという。
ガレのガラス作品を茶器として用いるという発想が面白い。
西洋の工芸品を単に鑑賞するだけでなく、茶の湯の道具として取り入れるところに、小林一三の自由な発想と美意識が感じられる。
万博との関係でいえば、セーヴルの《瑠璃地金彩蓋物(香合)》も展示されている。

セーブル《瑠璃地金彩蓋物(香合)》
photo©️Kyushima Nobuaki
セーヴルは、パリ万博をはじめ、万博と深い関わりを持ってきたフランスの陶磁器製作所である。
また、ウェッジウッドの《緑地白貼人物文鉢(水指)》も出品されている。

ウェッジウッド《緑地白貼人物文鉢(水指)》
photo©️Kyushima Nobuaki
ウェッジウッドは、1851年ロンドン万博をはじめ、万博の歴史にたびたび登場する英国の陶磁器メーカーだ。
この作品は、ウェッジウッドを代表するジャスパーウェアの特徴を備えている。
さらに、ドイツのマイセンによる《彩磁マンドリン形花入》も展示されている。

マイセン《彩磁マンドリン形花入》
photo©️Kyushima Nobuaki
マンドリンの形をした胴体の側面に開口部があり、そこに花を生けられるようになっている。楽器を模した形状と、花器としての機能を組み合わせた、ユニークな作品である。
マイセンもまた、1893年シカゴ万博や1900年パリ万博など、万博と縁の深い陶磁器ブランドである。
こうして見ていくと、ガレ、セーヴル、ウェッジウッド、マイセンと、万博の歴史を彩ってきた工芸品が並んでいることに気づく。
それらが、茶器や香合、水指、花入といった日本の茶の湯の道具として位置づけられているのも興味深い。
作品の名称にも、それぞれの品物を日本の茶の湯の世界に取り込んできた工夫が表れている。
宝塚歌劇団の創設と万博での公演
このように、万博に関係する工芸品も楽しめる今回の展覧会だが、やはり筆者が気になるのは、小林一三による宝塚歌劇団の創設である。
今回の展覧会では、宝塚歌劇団の練習風景を写した写真も展示されていた。(写真撮影不可)
宝塚歌劇団は、1913年に小林一三が創設した。
現在の宝塚歌劇団のホームページにある「初心者ガイド」では、宝塚歌劇について、次のように紹介されている。
100年以上の歴史を持つ、出演者が女性だけの劇団、宝塚歌劇団。
花・月・雪・星・宙(そら)の5つの組があり、「宝塚大劇場(兵庫県)」「東京宝塚劇場(東京都)」という2つの専用劇場を中心に、年間を通して各地で公演を行っています。
専用劇場ではオーケストラの生演奏でスケールの大きな舞台を楽しめるほか、首都圏や全国各地の劇場で公演されることも。
また、映画館でのライブ中継やご自宅などでリアルタイムに観劇できるライブ配信も実施しています。
格好良い男役、可憐な娘役による、夢の舞台をお楽しみください!
ただ、こうした案内には、宝塚歌劇団の海外公演の歴史については、あまり触れられていない。
筆者は以前、堺屋太一氏などから、「宝塚歌劇団がニューヨーク万博で公演を行った」という話を聞いていた。
そのため、この点が以前から気になっていたのである。
ただし、当初は「ニューヨーク万博」が1939/40年の万博を指すのか、それとも1964/65年の万博を指すのか、はっきりしていなかった。(20世紀にはこの2度、ニューヨークで万博が開催された)
そこで今回、改めて調べてみることにした。
調査を進めるなかで、ウィキペディアに「1939年の宝塚歌劇公演一覧」という項目があることを知った。
宝塚歌劇の公演記録が、年ごとに違うページにまとめられているのである。
その1939年の公演一覧を見ると、「海外公演」の項目に「アメリカ公演」があり、4月14日のホノルル公演から、6月17日・18日のシアトル公演まで、各地での公演日程が記されている。
そのなかに、次の記録があった。
つまり、宝塚歌劇団は、1939年に、サンフランシスコとニューヨークの万博会場で公演を行っていたのである。
念のため、1940年の公演一覧も確認した。
ニューヨーク万博は1939年と1940年の2年間にわたって開催されている。
また、1964年と1965年にもニューヨーク万博が開催されたため、それぞれの年の公演記録も調べてみた。
今回確認した公演一覧では、1940年および1964/1965年のアメリカ公演は見当たらなかった。
少なくとも、今回の調査で確認できた記録からは、宝塚歌劇団が万博会場で公演したのは、1939年のサンフランシスコ万博とニューヨーク万博だったことがわかる。
さらに調べると、1939年サンフランシスコ万博では、「日本館(Japan Pavilion)」敷地内に建設された専用劇場(日本館付属の劇場)で、1939年ニューヨーク万博では「Hall of Music(ホール・オブ・ミュージック)」で公演を行ったことがわかった。

1939/40年サンフランシスコ万博日本館(『内田祥三先生作品集』より)
Japan Pavilion, 1939/40 Golden Gate International Exposition (from “Uchida Yoshikazu Collected Works”)

1939/40年 ニューヨーク万博日本館(『内田祥三先生作品集』より)
Japan Pavilion, 1939/40 New York World’s Fair (from “Uchida Yoshikazu Collected Works”)
「明日の世界」「平和と自由のために」を掲げた万博と、戦争の時代
1939年といえば、世界が第二次世界大戦へと向かっていた時代である。
ニューヨーク万博は、1939年のテーマに「明日の世界(The World of Tomorrow)」を掲げた。
科学技術の発展と、そこから生まれる未来の生活への期待を打ち出した博覧会だった。
しかし、翌1940年には、テーマが「平和と自由のために(For Peace and Freedom)」へと変更された。
世界情勢が急速に悪化するなか、「平和と自由」という言葉が、より切実な意味を帯びていったのである。
だが、平和への願いはかなわず、世界は戦争へと突入していく。
1939/40年ニューヨーク万博の象徴だった「トライロン」と「ペリスフィア」も、万博終了後には解体され、その資材は再利用された。

ペリスフィア(左)とトライロン
Perisphere (left) and Trilon
戦時下には、博覧会のために造られた建造物の資材までもが、戦争遂行のために利用されていくことになったのである。
未来への希望と平和の理念を掲げた万博が、戦争の時代のただなかで開催されていたという事実には、複雑な思いを禁じ得ない。
そのような時代に、海を越えてアメリカ各地を巡り、万博会場でも公演を行った宝塚歌劇団。
その創設者である小林一三自身は、このアメリカ公演には同行していなかった。
それでも、宝塚歌劇団の海外公演は、日本の舞台芸術を海外に紹介する貴重な機会となったはずである。
現地の観客が、女性だけで構成された日本の歌劇団の舞台は、そういった時代の中でも、現地の人々に日本の美徳や文化的魅力を伝える架け橋となり、観客の感動を呼んだに違いない。
今回の展覧会で出会った西洋の工芸品は、小林一三が茶の湯の世界に取り入れた美の結晶だった。
そして、同じ小林一三が生み出した宝塚歌劇団は、1939年、世界が戦争へと向かうなかで海を渡り、アメリカの万博会場で舞台を披露していた。
美術品の収集と、鉄道・百貨店・娯楽事業の展開。
ひとつの分野にとどまらず、異なる文化や人々を結びつけようとした小林一三の活動は、今回の展覧会を通して、改めて考えてみる価値がある。
一見すると、茶の湯の名品と宝塚歌劇団、そして万博は、別々の世界の話のように思える。
しかし、その背後には、近代日本の文化と産業を切り開き、国内外の人々を結びつけようとした小林一三という人物の存在があった。
そんなことを考えながら作品を眺めると、今回の展覧会も、また違った味わいを持って感じられるのではないだろうか。

