<251>北斎の赤富士と1970年大阪万博 ー新庄コレクションがつなぐ島根と大阪

1970 Osaka
葛飾北斎《冨嶽三十六景 凱風快晴》1830~34年頃 島根県立美術館蔵(新庄コレクション) 1970年大阪万博「万国博美術展」に出品された作品。 Image: Wikimedia Commons / Public Domain

石見美術館から島根県立美術館へ

前回の<250>では、島根県益田市の石見美術館(いわみびじゅつかん)を訪ね、葛飾北斎(1760~1849)の『北斎漫画』が1867年パリ万博に出品されていたことを紹介した。

『徳川昭武滞欧記録』には、『北斎漫画』14冊をはじめ、北斎に関係する版本の名前や値段が記録されているのである。

北斎と万博の関係を考えるうえで、なかなか興味深い資料である。

さて、島根での北斎との出会いは、これだけでは終わらなかった。

次に訪れたのは、松江市の島根県立美術館である。

今回の視察時、島根県立美術館では、<248>でご紹介した「アメリカのデザイン」展以外に、「アーツ・アンド・クラフツとデザイン展」や、「北斎コレクション 第5期展」なども開催されていた。

島根県立美術館
photo©️Kyushima Nobuaki

今回は、この「北斎コレクション 第5期展」と万博の関係である。

この展覧会は、コレクション展示室2(「北斎展示室」)で行われており、同館が誇る約1,600件の北斎作品の中から、錦絵・摺物・版本・肉筆画など約40点を展示するものである。

会期は2026年9月2日(水)から9月28日(月)まで。

島根県立美術館「北斎コレクション 第5期展」の展示風景。
北斎の《冨嶽三十六景》など、富士山を題材とした浮世絵版画が並ぶ。
Photo © Kyushima Nobuaki

葛飾北斎《冨嶽三十六景 甲州三坂水面》
湖面に映る富士山の姿が、実際の富士山とは異なることで知られる作品。
Photo © Kyushima Nobuaki

葛飾北斎《冨嶽三十六景 東海道品川御殿山ノ不二》
桜の名所として知られた品川・御殿山から富士山を望む風景。
Photo © Kyushima Nobuaki

葛飾北斎《冨嶽三十六景 江都駿河町三井見世略図》
江戸・駿河町の三井越後屋を描いた作品。屋根の上で働く職人たちの向こうに富士山が見える。
Photo © Kyushima Nobuaki

今回の展示では、北斎の代表作《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》を見ることができた。

葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》
島根県立美術館「北斎コレクション 第5期展」にて撮影。
Photo © Kyushima Nobuaki

一方、同じ『冨嶽三十六景』の代表作《凱風快晴》、いわゆる「赤富士」は展示されていなかったものの、館内のパネルなどで紹介されていた。

島根県立美術館「北斎展示室」の入口。
正面には葛飾北斎《冨嶽三十六景 凱風快晴》(赤富士)が大きく描かれている。
Photo © Kyushima Nobuaki

そして、この赤富士について調べているうちに、思いがけない事実を知った。

なんと、この作品は1970年大阪万博に出品されていたのである。

島根県立美術館の二つの北斎コレクション

さて、島根県立美術館の北斎コレクションを語るうえで、重要な人物が二人いる。

一人は、前回の記事でも紹介した北斎研究者の永田生慈(1951~2018)である。

島根県津和野町出身の永田は、長年にわたって収集した北斎関係資料2,398件を、2017年に島根県へ寄贈した。

この「永田コレクション」が、現在の島根県立美術館と石見美術館における北斎研究・展示の大きな柱になっている。

そして、もう一人が新庄二郎(1901~1996)である。

こちらは松江市出身の実業家で、浮世絵の収集家だった。

新庄は大阪で電気照明器具の仕事に携わり、戦後には電気スタンドの専門会社を設立した。

1950年頃から浮世絵の収集を始め、北斎、歌川広重、小林清親らの風景版画を中心に、質の高い作品を集めていった。

新庄の収集方針は、数よりも質を重視することだったという。

そのため、初期の摺りや保存状態の良い作品が多く含まれている。

1983年、島根県は新庄コレクション378件を購入した。

その後の寄贈作品を加えると、新庄コレクションは471件に上る。

そのうち約60件が北斎に関係する作品である。

つまり、島根県立美術館の北斎コレクションは、永田コレクションと新庄コレクションという二つの大きな柱を持ち、さらに県が独自に収集した作品も加わって形成されているのである。

島根県立美術館の北斎コレクションを紹介する展示パネル。
左は新庄二郎と新庄コレクション、右は永田生慈と永田コレクションの解説。
両パネルには北斎《冨嶽三十六景 凱風快晴》の画像も掲載されている。
Photo © Kyushima Nobuaki

新庄コレクションの「赤富士」

新庄コレクションを代表する作品の一つが、先ほど触れた北斎の《冨嶽三十六景 凱風快晴》である。

葛飾北斎《冨嶽三十六景 凱風快晴》1830~34年頃
島根県立美術館蔵(新庄コレクション)
1970年大阪万博「万国博美術展」に出品された作品。
Image: Wikimedia Commons / Public Domain

『冨嶽三十六景』は、1830年頃から刊行された富士山を主題とする風景版画の連作で、当初の36図に追加の10図を加え、全部で46図からなる。

《凱風快晴》は、そのなかでも《神奈川沖浪裏》と並ぶ代表作である。

赤く染まった富士山が画面の大部分を占め、山肌には細かな描写が施されている。

構図は大胆だが、色彩は実に繊細である。

ところで、浮世絵版画は一枚の絵を描いて完成するものではない。

版木を用いて何枚も摺られるため、同じ作品でも摺りの時期や状態によって色彩や細部に違いが生じる。

新庄コレクションの《凱風快晴》は、北斎の造形意図をよく伝える初期の希少な摺りとして評価されている。

富士山の山肌には、褐色から赤へと移り変わる繊細なぼかし摺が施され、樹海との境界も自然に表現されている。

こうした特徴は初期の摺りに見られるもので、後摺では山肌の赤みが強調され、樹海との境界も直線的になっていくという。

そして、まさにこの赤富士が1970年大阪万博に出品されていたのである。

1970年大阪万博の出品目録に新庄二郎の名前が

1970年大阪万博では、会場内に「万国博美術館」が建設され、世界各地の美術作品を集めた大規模な美術展が開催された。

「万国博美術展 ー調和の発見」

である。

1970万国博美術展図録表紙
photo©️Kyushima Nobuaki

この展覧会の出品目録を調べてみると、第IV部「自由への歩み」に北斎の名前が登場する。

出品番号IV-161。

葛飾北斎 富嶽三十六景

そして、所蔵者の欄には、こう記されている。

大阪、新庄二郎氏

ここで、島根県立美術館の新庄コレクションと、1970年大阪万博がつながった。

さらに調べてみると、島根県立美術館の公式サイト「新庄コレクション」には、次のような記述があった。

例えば、葛飾北斎の《冨嶽三十六景 凱風快晴》は新庄自身が「コレクション中の白眉」と評した作品で、大阪万国博覧会の「万国博美術展」(1970年)に浮世絵の代表として展示されました。(出典:島根県立美術館「新庄コレクション」)

つまり、現在島根県立美術館が所蔵する赤富士は、1970年大阪万博の会場で世界の美術品とともに展示された、まさにその作品なのだ。

松江出身の実業家が大阪で収集した北斎の名品。

その作品が大阪万博で世界に紹介され、後に故郷の島根へ戻ってきたのである。

単に「北斎の作品が大阪万博に出品された」というだけではない。

作品の来歴をたどると、一人の収集家の人生と、島根と大阪を結ぶ物語が見えてくる。

広重の『東海道五十三次』も

ちなみに、1970年大阪万博の出品目録をさらに見ていくと、北斎のすぐ次に歌川広重の名前がある。

IV-162 安藤広重 東海道五十三次

所蔵者は「名古屋、東海銀行」と記されている。

北斎の『冨嶽三十六景』と、広重の『東海道五十三次』。

日本の浮世絵風景画を代表する二つの連作が、同じ万博美術展の出品目録に、連続した番号で掲載されているのである。

さらに、その直前には伊藤若冲の作品が並んでいる。

こうした目録の構成を眺めていると、1970年大阪万博の美術展が、日本美術をどのような作品によって紹介しようとしていたのか、興味が尽きない。

この「万国博美術展」については、ほかにも取り上げたい作品が数多くある。

いずれ改めて紹介したいと思う。

2025年大阪・関西万博を契機に再び注目

話はこれだけでは終わらない。

2025年大阪・関西万博開幕に合わせて、島根県立美術館では、

「大阪・関西万博(Expo 2025)」開幕記念 北斎博覧会 ー珍品・逸品大集合‼ー

という特集展示が開催された。

会期は、万博開催中の2025年4月23日から5月26日まで。

この展覧会は、大阪・関西万博の開幕を記念して、北斎コレクションの魅力を改めて紹介するものだった。

1970年大阪万博から55年。

新たな大阪万博の開催を契機に、かつての万博と北斎の関係を振り返ることができるというのも興味深い。

半世紀以上の時を隔てて、再び万博と北斎が結びついたことには、何とも不思議な縁を感じる。

1867年パリから1970年大阪、そして2025年へ

前回紹介した1867年パリ万博では、『北斎漫画』14冊が日本からフランスへ渡った。

それから103年後の1970年大阪万博では、北斎の《冨嶽三十六景 凱風快晴》が、世界の名品とともに展示された。

そして2025年、大阪・関西万博の開催を記念して、島根県立美術館では「北斎博覧会」が開催された。

1867年、1970年、2025年。

三つの万博を結ぶ北斎の物語である。

もちろん、1867年パリ万博に出品された版本と、1970年大阪万博に出品された浮世絵版画は、まったく別の作品である。

それでも、万博という舞台を通して、同じ北斎という画家の作品が時代を超えて紹介されてきたことは興味深い。

今回、島根県の二つの美術館を訪ねたことで、そんな北斎と万博の意外な関係を知ることができた。

石見美術館では、永田コレクションから1867年パリ万博へ。

島根県立美術館では、新庄コレクションから1970年大阪万博へ。

万博の歴史を知ることで、一枚の絵がまったく違った表情を見せてくれる。

今回の《凱風快晴》は、まさにそんな一枚だった。


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