<152>パリ万博で『ゲルニカ』の前に展示された『水銀の泉』

1937 Paris
隔離された部屋に展示されたアレクサンダー・カルダー『水銀の泉』 水銀が流れ、刻々とそのフォルムが変わっていく。 Alexander Calder "Font de mercuri (Mercury fountain)" photo©️Kyushima Nobuaki

ミロ美術館に展示されている別作家の重要作品

<151>でご紹介したミロ美術館。

ミロ美術館 入り口付近
photo©️Kyushima Nobuaki

この美術館にはスケッチや素描などを含めると1万点近いミロの作品が収蔵されている。

ところが、その中に、ミロの作品でないものも展示されている。
しかも万博史的に見て大変重要な作品である。

それは、アレクサンダー・カルダー作『水銀の泉(Font de mercuri、Mercury fountain)』である。

アレクサンダー・カルダー『水銀の泉』
Alexander Calder “Font de mercuri (Mercury fountain)”
photo©️Kyushima Nobuaki

隔離された部屋に展示されたアレクサンダー・カルダー『水銀の泉』
水銀が流れ、刻々とそのフォルムが変わっていく。
Alexander Calder “Font de mercuri (Mercury fountain)”
photo©️Kyushima Nobuaki

隔離された部屋に展示されたアレクサンダー・カルダー『水銀の泉』
水銀が流れ、刻々とそのフォルムが変わっていく。
Alexander Calder “Font de mercuri (Mercury fountain)”
photo©️Kyushima Nobuaki

アレクサンダー・カルダーについては

<82>アレクサンダー・カルダー展と万博
<110> 『磯崎新と藤森照信のモダニズム建築談義』を読む

等このブログでも何度かご紹介した。

アレクサンダー・カルダー(Alexander Calder, 1898-1976)は、アメリカ・ペンシルベニア州出身の彫刻家・現代美術家である。

特に、天井から吊り下げられたりして設置された、動く彫刻「モビール」で有名である。

そして、この『水銀の泉』にまつわる話は1937年パリ万博まで遡ることになる。

ピカソ、ミロ、カルダーの3人が参加したスペイン共和国パビリオン

1937年パリ万博に関して、スペインは1934年12月に正式な参加要請を受けていたが、1936年7月、内戦が勃発し、そのせいで準備が大幅に遅れてしまう。

1937年パリ万博は5月25日〜11月25日までの開催だったが、スペイン共和国パビリオンがオープンしたのはその約2ヶ月遅れの7月12日のことだった。

このスペイン共和国館にはパブロ・ピカソ(1881-1973)があの『ゲルニカ』を展示した。
そして、ジュアン・ミロ(1893-1983)『刈り入れ人』(現在消失)という作品を展示した。

そしてそのスペイン共和国パビリオンにカタルーニャ出身のアーティスト3人 ー ピカソ、ミロ、そして彫刻家ジュリ・ゴンザレス(1876-1942) ー と並んで、もう一人、作品を展示したのがアレクサンダー・カルダーだった。

カルダーはスペイン共和国政府から要請を受けて、フランコ軍に抵抗する意思を込めてスタビル『水銀の泉』を制作したのである。

彼は唯一の外国人ゲストアーティストであった。

その時の写真が今も、ミロ美術館の『水銀の泉』展示室に飾られている。

『水銀の泉』の展示室にかけられた、1937年パリ万博スペイン共和国館における『ゲルニカ』、『水銀の泉』、アレクサンダー・カルダーの写真。
photo©️Kyushima Nobuaki

ピカソの『ゲルニカ』を背にして、『水銀の泉』の後ろに毅然とたたずむ男性がアレクサンダー・カルダーその人である。

この噴水は、水銀が流れる固定された部分と、同じ水銀が動きを作る可動部分から構成されている。

カルダーは、当時、世界の水銀の60%が採掘され、フランコ軍によって厳しい処罰を受けた町、アルマデン(ALMADEN)の人々に敬意を表したかったのである。

隔離された部屋に展示されたアレクサンダー・カルダー『水銀の泉』
水銀が流れ、刻々とそのフォルムが変わっていく。
「ALMADEN」の文字が上から吊り下げられて動いている
Alexander Calder “Font de mercuri (Mercury fountain)”
photo©️Kyushima Nobuaki

隔離されている『水銀の泉』

この『水銀の泉』は、ミロ美術館の個別の部屋に展示され、外から鑑賞するようになっている。

この作品には水銀が使用されており、水銀の毒性を考慮し、この彫刻は独立した空調システムを備えた部屋に隔離されているのである。

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